ペテルスブルグ紀行17(町歩き編)
前のエントリーを投稿した直前、ペテルスブルグでテロがあった。「先生無事ですか」的なメッセージがLineに入りはじめ、ニュースをつけて現場からの中継映像をみてふいた。私がつい数日前訪れた王立地理学協会の最寄り駅サドヴァヤでないの。
政治の町モスクワでテロがある可能性はちらっとは考えたが、観光都市ペテルスブルグで起きるとはね。しかし、よく考えてみればパリのテロもニースのテロもチュニジアのテロも政府機関ではなく観光客をねらっていた。それにペテルスブルグも完全に政治機能がないかといえばそうでもない。聞けばこの時プーチンはペテルスブルグにいたそうで(そもそも彼の出身地)、彼はペテルスブルグ人脈でここまできて、そのゆかいな仲間達とロシアをしきっているのだから、狙われてもおかしくなかった。犠牲になられた方に哀悼の意を表します(次の写真はテロの現場で献花するプーチン)。
町歩き編の冒頭は「テロに気をつけてね」、という言葉で始めます。
ロシアに行く際、フラッグ・キャリアのアエロフロートを使う人は多いであろう。この航空会社、社会主義時代に比べれば設備もサービスもよくなり、意外にまともである。もちろん飛行機の機体をサテライトに横付け、みたいなことはなく、バスで家畜のように運ばれ、氷点下の風のふきつける中タラップを上がらされるみたいなことはあるけど、昔よりはるかにまし。
驚いたのが、離陸をする際にも電気機器の停止をあまりうるさくいわないので離陸直前までiPhoneのメッセ音「チーン」、やFacetimeのまぬけな呼び出し音があちこちからなりひびくのがおちゃめ。同じことは地上の電波が入る着陸間際にもおきる。おおらかである。
モスクワでの入国審査で団体客でない中国の方の後ろにあたるとすごい待つ可能性があるので気をつけて。ある漢人は20分審査された上に入国が許可されなかったとの目撃談もあり。なので可能ならロシア臣民の後ろに並んでください。 政治の世界では中露は仲良くして日本は北方領土とかでロシアと対立しているかにみえるが、民間レベルでは、その逆で、在日20年のロシア人Aさんによると「ロシア人の97%は日本人に好意的で中国人には好意を持っていないという。
その心は、中国は今南シナ海でやっていることをロシアの東部でもやっているからである。最近でも、とある中国人がロシア女性と結婚してロシアの土地を合法的に手に入れるや、そのロシア女性を中国国内の売春窟に売り飛ばし、土地を好き勝手したという事件があり、ロシア人が怒り狂っている。中国人の偽造パスポートも問題になっていて、一度ロシアに入れたパスポートは、持ち主が死んでも別の人間がそれを利用し続けるので、ロシアの入国記録の中では中国人が死んだことがないんだそうな(笑)。ロシアは世界最大の国土領域にたった三億人くらいしかおらず、せせこましい日本からいくととくに過疎に感じる。観光客があつまるペテルスブルグでは夏は「ここは天安門かよ」みたいなかんじになる。というわけで、人口で圧倒されるロシア人は中国人に対する警戒感が強い。
私の個人的な感覚からいっても、ロシア人は日本人を敵視していない。たとえば、タクシーの運転手さんもへんにごねたりしないし、機内で重いカートを上に収納する時、行きも帰りも近くのロシア人男性がスマートに挙げてくれた。ロシアの若い女性もキレイで感じいい(もちろん柄の悪いのも居るけど)。ハウステンボスのようなヨーロッパの街並みを、髪を後にたばねた金髪や銀髪の女性が背筋をのばして闊歩している様はほれぼれする。
ちなみにAさんによるとこの美しさは人工的。「ロシアの男たちは『ロシアの女の子の髪はなんで根もとが黒いんだ』と不審がっているが、あれ染めているか、色抜いているかですよ、ゲラゲラ」。たしかに男性の髪の色は茶色であった。男女で髪の色が違うわけない。
●独断と偏見に基づくみどころ案内
コズロフアパートメント記念館の隣には十月革命の舞台となった革命の聖地があった。モスクワに政府機能がうつるまではソビエトの中心であったという。建物の前にはレーニンの有名な像があり、マルクスとエンゲルスの胸像、ならびに、プロレタリアート・独裁の銘文がきらきらしい。ある世代より上の人ならここで感極まるだろう。
私「コズロフは何が悲しうて、こんな中南海みたいなとこにアパート借りてたんですか。」
ウスペンスキー教授「コズロフがこの居を定めた時はこの建物はスモーリヌイ女学院で(1764年エカテリーナ2世によって創立)でした。革命軍がなだれこんだ後、革命本部になったんです」
ああそうか、ここがあのジョン・リードの『世界を揺るがせた10日間』で有名なスモーリヌイか。じゃああそこにある結婚式場みたいな建物は、スモーリヌイ女子修道院か。すばやくネタ認定してiphoneで写真をとりまくる。ちなみに、ジョン・リードは革命後、ロシアを被う飢餓を目の当たりにしてうつになり、32才でモスクワで病死。なかなか理想通りに物事はうごかんな。
かつてのロシア革命の本拠地は現在はテロを警戒して非公開となっている。中国から「革命の聖地」を拝みに巡礼者がたくさんくるそうな。この建物の前には広大な公園があり、ペテルスブルグ建都300周年の時、プーチンが各国の元首をよんでここで豪華な式典を行ったという。ウスペンスキー氏は、その時、日本の首相が贈ったソメイヨシノの下に連れて行ってくれた。私が日本を離れる時にはちょうどソメイヨシノが開花し始めていたが、ここでは桜は五月にならないと咲かない。
社会主義時代を懐かしむ人がいるのか、ネタ化しているのかは定かではないが、町中にはソビエトカフェもある。
ペテルブルグにはエルミタージュ博物館以外にも、ロシア最古の博物館クンストカメラ、宗教歴史博物館、ロシア美術館、民族学博物館、などロシア帝国の時代のコレクションをおさめた素晴らしい博物館がたくさんある。ロシア美術館・民族学博物館はプーシキン広場の前に並んでたつ白亜の殿堂。展示には現在のロシアの民族政策が反映して深読みするとなかなか面白い。ウクライナとかジョージアとか(笑)。
あとはカザン大聖堂とイサク大聖堂などで独特のイコンや十字架からカトリックとは異なるロシア正教会の雰囲気を楽しむのもおすすめ。たくさんの人が聖母子象のイコンに頭をつけてその加護を祈っていた。ネフスキー大通りにはカトリックの教会、キャサリン聖堂もある。カトリックの聖堂内は椅子がならんでいて人があまりいないので氷点下の室外から一息ついて休むのにはちょうどいい(ロシア正教会の聖堂には座る場所がない)。ソ連が崩壊した1991年にこの聖堂はカトリック教会に返還されたが、返還直後のあれはてた教会内部の写真や殉教した聖職者たちの肖像が入り口脇のコーナーにはられていた。ポーランド王のお墓が内部にあるのだが、これも破壊の爪痕が見受けられた。
最後にお食事についての雑感。ロシア通貨は今大変弱いのでスーパーとかで日用品のお値段をみるとすごく安いが、レストランやカフェなどで食事で払うお金はほぼ日本と同じ金額になる。彼らはあまり外食しないのかな。
イタリアンは全体にまあ美味しかった。町中至るところにスシバーとリトル・トーキョーがあるが、日本人が経営しているわけもないので入る勇気はない(醤油がやきとりのたれだと聞いた)。ホテルの近くの中華に入ってみたが、まずい。しかもおつりごまかされた。
不愉快なので、入るなら比較的日本人の口にあうので有名なグルジア料理がおすすめ。私はカフェ・エグリス(кафе эгриси)で食べてみたが、確かに美味しかった。エグリスとは4世紀から6世紀に南コーカサスにあったジョージアの王国の名である。
民俗学博物館からネフスキー大通りをネヴァ川にむかって歩いていると、向かって左にストロガノフ宮がある。革命のために中はカラッポになっていたが、昨今徐々に修復して公開を始めているという。ちょうど昼時だったので、普通のロシア人の入るダイナーに入ってビーフストロガノフを注文してみた。
でてきたのが、これ。
まずくはないけど、美味しくもない。日本人は麦飯というと刑務所を思い出すのでちょっとこれは・・・。
お土産物やさんに入ると、マトリョーシカなどの定番とともに、レーニン、スターリン、プーチンの個人崇拝用の胸像が並んでいる。とくにプーチンは機関銃を構えたコワモテなかんじでデザインされたTシャツ、マグカップなど「プーチン、かっけーっ」グッズがでまわっている。中国人が買うとも思えないからロシア人のナショナリストが買うのかな。
プーチンの故郷、ロシア革命の聖地、くどい建物の前で銅像が手を挙げてポーズをとるまちペテルスブルグ。
女の子はきれいだし男性はやさしいし、物価は安いし、みなさんペテルスブルグはステキな町ですよ~。ただし水とテロに気をつけてね~
政治の町モスクワでテロがある可能性はちらっとは考えたが、観光都市ペテルスブルグで起きるとはね。しかし、よく考えてみればパリのテロもニースのテロもチュニジアのテロも政府機関ではなく観光客をねらっていた。それにペテルスブルグも完全に政治機能がないかといえばそうでもない。聞けばこの時プーチンはペテルスブルグにいたそうで(そもそも彼の出身地)、彼はペテルスブルグ人脈でここまできて、そのゆかいな仲間達とロシアをしきっているのだから、狙われてもおかしくなかった。犠牲になられた方に哀悼の意を表します(次の写真はテロの現場で献花するプーチン)。
町歩き編の冒頭は「テロに気をつけてね」、という言葉で始めます。
ロシアに行く際、フラッグ・キャリアのアエロフロートを使う人は多いであろう。この航空会社、社会主義時代に比べれば設備もサービスもよくなり、意外にまともである。もちろん飛行機の機体をサテライトに横付け、みたいなことはなく、バスで家畜のように運ばれ、氷点下の風のふきつける中タラップを上がらされるみたいなことはあるけど、昔よりはるかにまし。
驚いたのが、離陸をする際にも電気機器の停止をあまりうるさくいわないので離陸直前までiPhoneのメッセ音「チーン」、やFacetimeのまぬけな呼び出し音があちこちからなりひびくのがおちゃめ。同じことは地上の電波が入る着陸間際にもおきる。おおらかである。
モスクワでの入国審査で団体客でない中国の方の後ろにあたるとすごい待つ可能性があるので気をつけて。ある漢人は20分審査された上に入国が許可されなかったとの目撃談もあり。なので可能ならロシア臣民の後ろに並んでください。 政治の世界では中露は仲良くして日本は北方領土とかでロシアと対立しているかにみえるが、民間レベルでは、その逆で、在日20年のロシア人Aさんによると「ロシア人の97%は日本人に好意的で中国人には好意を持っていないという。
その心は、中国は今南シナ海でやっていることをロシアの東部でもやっているからである。最近でも、とある中国人がロシア女性と結婚してロシアの土地を合法的に手に入れるや、そのロシア女性を中国国内の売春窟に売り飛ばし、土地を好き勝手したという事件があり、ロシア人が怒り狂っている。中国人の偽造パスポートも問題になっていて、一度ロシアに入れたパスポートは、持ち主が死んでも別の人間がそれを利用し続けるので、ロシアの入国記録の中では中国人が死んだことがないんだそうな(笑)。ロシアは世界最大の国土領域にたった三億人くらいしかおらず、せせこましい日本からいくととくに過疎に感じる。観光客があつまるペテルスブルグでは夏は「ここは天安門かよ」みたいなかんじになる。というわけで、人口で圧倒されるロシア人は中国人に対する警戒感が強い。
私の個人的な感覚からいっても、ロシア人は日本人を敵視していない。たとえば、タクシーの運転手さんもへんにごねたりしないし、機内で重いカートを上に収納する時、行きも帰りも近くのロシア人男性がスマートに挙げてくれた。ロシアの若い女性もキレイで感じいい(もちろん柄の悪いのも居るけど)。ハウステンボスのようなヨーロッパの街並みを、髪を後にたばねた金髪や銀髪の女性が背筋をのばして闊歩している様はほれぼれする。
ちなみにAさんによるとこの美しさは人工的。「ロシアの男たちは『ロシアの女の子の髪はなんで根もとが黒いんだ』と不審がっているが、あれ染めているか、色抜いているかですよ、ゲラゲラ」。たしかに男性の髪の色は茶色であった。男女で髪の色が違うわけない。
●独断と偏見に基づくみどころ案内
コズロフアパートメント記念館の隣には十月革命の舞台となった革命の聖地があった。モスクワに政府機能がうつるまではソビエトの中心であったという。建物の前にはレーニンの有名な像があり、マルクスとエンゲルスの胸像、ならびに、プロレタリアート・独裁の銘文がきらきらしい。ある世代より上の人ならここで感極まるだろう。
私「コズロフは何が悲しうて、こんな中南海みたいなとこにアパート借りてたんですか。」
ウスペンスキー教授「コズロフがこの居を定めた時はこの建物はスモーリヌイ女学院で(1764年エカテリーナ2世によって創立)でした。革命軍がなだれこんだ後、革命本部になったんです」
ああそうか、ここがあのジョン・リードの『世界を揺るがせた10日間』で有名なスモーリヌイか。じゃああそこにある結婚式場みたいな建物は、スモーリヌイ女子修道院か。すばやくネタ認定してiphoneで写真をとりまくる。ちなみに、ジョン・リードは革命後、ロシアを被う飢餓を目の当たりにしてうつになり、32才でモスクワで病死。なかなか理想通りに物事はうごかんな。
かつてのロシア革命の本拠地は現在はテロを警戒して非公開となっている。中国から「革命の聖地」を拝みに巡礼者がたくさんくるそうな。この建物の前には広大な公園があり、ペテルスブルグ建都300周年の時、プーチンが各国の元首をよんでここで豪華な式典を行ったという。ウスペンスキー氏は、その時、日本の首相が贈ったソメイヨシノの下に連れて行ってくれた。私が日本を離れる時にはちょうどソメイヨシノが開花し始めていたが、ここでは桜は五月にならないと咲かない。
社会主義時代を懐かしむ人がいるのか、ネタ化しているのかは定かではないが、町中にはソビエトカフェもある。
ペテルブルグにはエルミタージュ博物館以外にも、ロシア最古の博物館クンストカメラ、宗教歴史博物館、ロシア美術館、民族学博物館、などロシア帝国の時代のコレクションをおさめた素晴らしい博物館がたくさんある。ロシア美術館・民族学博物館はプーシキン広場の前に並んでたつ白亜の殿堂。展示には現在のロシアの民族政策が反映して深読みするとなかなか面白い。ウクライナとかジョージアとか(笑)。
あとはカザン大聖堂とイサク大聖堂などで独特のイコンや十字架からカトリックとは異なるロシア正教会の雰囲気を楽しむのもおすすめ。たくさんの人が聖母子象のイコンに頭をつけてその加護を祈っていた。ネフスキー大通りにはカトリックの教会、キャサリン聖堂もある。カトリックの聖堂内は椅子がならんでいて人があまりいないので氷点下の室外から一息ついて休むのにはちょうどいい(ロシア正教会の聖堂には座る場所がない)。ソ連が崩壊した1991年にこの聖堂はカトリック教会に返還されたが、返還直後のあれはてた教会内部の写真や殉教した聖職者たちの肖像が入り口脇のコーナーにはられていた。ポーランド王のお墓が内部にあるのだが、これも破壊の爪痕が見受けられた。
最後にお食事についての雑感。ロシア通貨は今大変弱いのでスーパーとかで日用品のお値段をみるとすごく安いが、レストランやカフェなどで食事で払うお金はほぼ日本と同じ金額になる。彼らはあまり外食しないのかな。
イタリアンは全体にまあ美味しかった。町中至るところにスシバーとリトル・トーキョーがあるが、日本人が経営しているわけもないので入る勇気はない(醤油がやきとりのたれだと聞いた)。ホテルの近くの中華に入ってみたが、まずい。しかもおつりごまかされた。
不愉快なので、入るなら比較的日本人の口にあうので有名なグルジア料理がおすすめ。私はカフェ・エグリス(кафе эгриси)で食べてみたが、確かに美味しかった。エグリスとは4世紀から6世紀に南コーカサスにあったジョージアの王国の名である。
民俗学博物館からネフスキー大通りをネヴァ川にむかって歩いていると、向かって左にストロガノフ宮がある。革命のために中はカラッポになっていたが、昨今徐々に修復して公開を始めているという。ちょうど昼時だったので、普通のロシア人の入るダイナーに入ってビーフストロガノフを注文してみた。
でてきたのが、これ。
まずくはないけど、美味しくもない。日本人は麦飯というと刑務所を思い出すのでちょっとこれは・・・。
お土産物やさんに入ると、マトリョーシカなどの定番とともに、レーニン、スターリン、プーチンの個人崇拝用の胸像が並んでいる。とくにプーチンは機関銃を構えたコワモテなかんじでデザインされたTシャツ、マグカップなど「プーチン、かっけーっ」グッズがでまわっている。中国人が買うとも思えないからロシア人のナショナリストが買うのかな。
プーチンの故郷、ロシア革命の聖地、くどい建物の前で銅像が手を挙げてポーズをとるまちペテルスブルグ。
女の子はきれいだし男性はやさしいし、物価は安いし、みなさんペテルスブルグはステキな町ですよ~。ただし水とテロに気をつけてね~
COMMENT
● ぺてるすぶるぐ
マサムネ | URL | 2017/04/15(土) 10:05 [EDIT]
マサムネ | URL | 2017/04/15(土) 10:05 [EDIT]
過去の新潮か何かに次のような記事がありましたね。
ぺてるすぶるぐでロシア女学生三人組が日本人の記者を親切にも様々案内してくれました。その親切に報いようと食事でも、という趣旨で何か御礼を、と言ったところ、それでは私達の部屋に、と案内され、そこで食事?と想っていると、私達三人の内の誰か一人を買ってくれない?という話であったとか。
そういう環境にあった露西亜を列国に伍して惨めな想いをさせない、ということで言えばプーチンの剛腕も肯定され、結果として文化財も護られる、ということになるのでしょうか。
露西亜圏では蒙古文化という他ないトゥヴァも露西亜では幸福度の高い国ということでブータン的な評価であるのも支那との距離感ということかと。
ぺてるすぶるぐでロシア女学生三人組が日本人の記者を親切にも様々案内してくれました。その親切に報いようと食事でも、という趣旨で何か御礼を、と言ったところ、それでは私達の部屋に、と案内され、そこで食事?と想っていると、私達三人の内の誰か一人を買ってくれない?という話であったとか。
そういう環境にあった露西亜を列国に伍して惨めな想いをさせない、ということで言えばプーチンの剛腕も肯定され、結果として文化財も護られる、ということになるのでしょうか。
露西亜圏では蒙古文化という他ないトゥヴァも露西亜では幸福度の高い国ということでブータン的な評価であるのも支那との距離感ということかと。
● 管理人のみ閲覧できます
| | 2017/04/28(金) 20:23 [EDIT]
| | 2017/04/28(金) 20:23 [EDIT]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
● 管理人のみ閲覧できます
| | 2017/04/29(土) 11:20 [EDIT]
| | 2017/04/29(土) 11:20 [EDIT]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
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