白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2017/07/28(金)   CATEGORY: 未分類
劉暁波氏の死を悼む
6月6日の私の誕生日の日、愛鳥(オカメインコごろう様19才)が突然逝った。
 以来喪に服して、ベジタリアンを続けており、ツイッターもFBも自分に関する更新は控えていたところ、スポンサーサイトから「一ヶ月以上更新のないサイトには広告のせます」みたいなことになり、無人の地に勝手に看板がたっているような状態になったので、喪には服しつつ更新したい。

 そういうわけで個人的に劇ウツな中、7月15日に劉暁波の獄死の報は効いた。病院で死んだことになっているが、これは独裁国家がよくやることで獄死のカウントを減らすために瀕死になると釈放するのだ。アバルトヘイト下の黒人活動家や、チベットの政治犯もよくリンチで瀕死になると家族の下にかえされたので、「ああまたか」と思った。このような非人道的なことをやっている時点で中国政府はかなり問題がある。

 80年代は劉暁波の生き方が世界史を動かす原動力たりえていたが、現在彼の獄死は何も影響を与えていないかにみえる。だからこそ、彼の生きていたこと、彼が考えていたことを言論の自由をもつ国の人間は一人でも多く書き残しておかねばならないと思う。

  劉暁波が一般に知られるようになったのは1989年の天安門事件である。この年にベルリンの壁が崩れ、実質社会主義圏が崩壊をはじめたことが示すように、天安門での学生の動きは世界的な社会主義世界の民主化の流れの中にあった。アメリカのコロンビア大学に在籍していた劉暁波氏は急遽帰国しその歴史的な意味をもつ学生デモの一員となった。

 しかし、この丸腰の学生デモは6月4日に中国軍によって暴力的に鎮圧され、学生指導者や民主化の指導者たちは逮捕・投獄された。このうち、海外に亡命することを条件に自由を得た人々もいたが、劉暁波氏はあくまでも中国国内にとどまって民主化を訴え続ける道を選んだ。しかし、彼は出版も、ネットもできないので発信はできない。

 劉暁波氏の名前を一躍有名にしたのは2008年の北京のオリンピックの年の世界人権デーに零八憲章を発表したことであろう。これは社会主義体制下のチェコで、バーツラフ・ハヴェル(ダライラマ14世のお友達)が1977年に発表した77憲章にちなんだもので、ハヴェルは投獄されるも、1989年のビロードによってチェコの共産党が倒れると大統領に就任した。
劉暁波はこの08憲章で中国共産党の一党独裁を批判し三権分立、少数民族の権利の保護などを訴え、2009年に投獄された。

 08憲章が発表された日の拙ブログは↓である。
http://shirayuki.blog51.fc2.com/blog-entry-330.html

 1989年の天安門事件は現在中国では報道規制がしかれており、若い世代の中国人はこの事件について知らないか、知っていても「政治家に踊らされた」と距離をとる人ばかり。劉暁波の死について中国の電脳事情に詳しい方がツイッターで「何の影響もなし」とひとくくりにしたのを見て、2008年にチベット蜂起があった時、某新聞者の元記者の方に「これだけ毎日大騒ぎしていても一ヶ月もたてばみな忘れますよ」と言われてイラッときたことを思い出した。

 毎日のニュースをおいかける記者とか、新聞紙面的な方々にとってはそのような実感しかわかないのだろうが、劉暁波の存在はもっと長いスパンで、死後の影響力も考慮すべきものである。彼の言葉は普遍的であり、彼の生きている間、その言論が奪われていたとしても、必ずその言葉は時代をこえて影響する。なぜなら彼の言葉は個人の生死をこえた内容を持つからだ。

 以下のNHKのサイトに2009年の有名な辯論「私に敵はいない」の全文和訳がある。
https://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/luixiaobo_fulltext.html

彼は声高に政権を批判するのではなく、言論の自由や三権分立は国にとって必要なものだと穏やかに訴えている。、人々の道徳性を目覚めさせる言葉は道徳的にアレな独裁国家にとってはもっとも忌避すべきことであるため、中国当局は普遍的価値観を語ることを禁止した。

 2013年5月13日香港の新聞に「中国当局はこのほど、北京や上海の大学に対し、「報道の自由」や「公民権」、民主や人権の尊重を意味する「普遍的価値」など7項目について授業で教えてはならないとする指示を出した」という記事がでた。いわゆる「七不講」である。

 つまり、大学では普遍的な価値を語ることが禁止され、当座・実務的な知識・技術のみを扱うように指示したわけである。なんか文学部の廃止を臭わせたどこぞの国の文科省を思い出す指示である。理由は簡単、普遍的な価値観にふれると、みながなぜ自分たちには選挙権がないのか、法治ではなく人治なのか、大気や水が汚染されていてもなすすべがないのか、以上のことを訴える言論の自由がないのかということに気付いてしまい、独裁体制が揺らぐからだ。

 ためしに中国国内では絶対読めないダライラマが1989年にノーベル平和賞を受賞した時の「普遍的な責任感」が説かれるスピーチを以下に引用する。皆が自分のエゴを追求していたら全体としては破滅に向かうという趣旨は独裁中国の価値観の中で生きる人たちにはもっとも耳が痛いことであろう。

私たちは同じ人間であって、苦しみを逃れ、安楽を求めるものであることを理解することは、人類愛、つまり他人に対する愛情のこもった暖かい思いやり、すなわち慈悲の心を育てる助けとなります。このことは、ゆれ動く現在の世界に生きていくためには、なくてはならぬものです。そうでなければ、私たちは自分の利益になると思い込んでいるものを、他人のことを意に介さずにがむしゃらに求め続け、他人ばかりでなく自分自身をも傷つけてしまうことになります。この事実は今世紀に入ってよりはっきりとしてきました。たとえば、核戦争を今起こしたら、それはそのまま自殺行為です。あるいは、目先の利益を求めて大気や海を汚染すれば、それは私たちの生存の基盤を破壊していることになります。個人や国家の相互依存(縁起)の度合いが増加しつつある現在、私が「普遍的責任感」(増上意楽)と呼ぶものを育てていく他、残された道はありません。
 今日では、私たちは本当に地球家族なのです。世界の一地域で起きたことが、私たち全員に影響を及ぼします。もちろん否定的なことばかりでなく、肯定的なことについても同じことがいえます。現代の非常に進歩した通信技術のお陰で、遠くで起きた事件を知ることができるばかりてはなく、その影響をも直接受けます。・・・・大陸を隔てて敵対する国々の間に平和がもたらされれば、私たち自身の安全もより確かなものになります。



 中国に生まれると、ネットでも、大学でも、普遍的な価値観に触れることなく、このダライラマ14世の言葉も、劉暁波の言葉にも、接することはできない。大学でも普遍的な価値観を教わることはできない。従って、中国国内で育った人は自らの精神をせいぜい社会常識で調整する程度であり、。全体を省みることなく自分の利益のみを追求し、結果、汚れた大気の中で咳き込みながら、選挙権がないことも、明日突然財産を奪われたり、逮捕されたり、自分の特許が他人に勝手にパクられても相手が役人となかよしだったら泣き寝入りしても当然、みたいな生を生きていく。

 国レベルでも普遍的価値観を無視して道徳感ゼロの自国ファーストで行動するために南シナ海とかで問題を起こす。
 行き着く先は個人レベルでも国レベルでも、最も恐ろしいのは地球レベルでも決して幸せなゴールは見えないことである。普遍的な価値観を受け入れられない時点でその政府も人もやんでいる。

 最後に、ダライラマ14世が劉暁波の死を悼んだコメントをのせる。

ダライ・ラマ法王、劉暁波氏の逝去に深い哀悼の意を表明(ソースhttp://www.tibethouse.jp/news_release/2017/170718_Liu_Xiaobo_20170714.html
)
2017年7月14日

ノーベル平和賞受賞者の同胞である劉暁波氏の逝去の報に接し、私は深い悲しみに打ちのめされています。劉氏は長期にわたる拘禁後、逝去されました。劉氏のために祈りを捧げるとともに、夫人の劉霞氏とご遺族の皆様にお悔やみを申し上げます。

劉氏はこの世を去られましたが、劉氏が長く体現されていた基本原則を残された私たちが引き継ぎ、中国がより調和し、安定し、繁栄する国となることが、劉氏に対する最高の敬意の表明となるでしょう。

ノーベル平和賞受賞者の劉暁波氏は自由のために絶え間なく努力を重ねられました。その努力は遠からず実を結ぶ、と私は信じています。

ダライ・ラマ

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| | 2017/07/31(月) 13:50 [EDIT]
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● Re: TBさせてください
白雪姫 | URL | 2017/08/02(水) 13:19 [EDIT]
> 先生、TBさせてください。
ありがとうございます。

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