白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2017/09/18(月)   CATEGORY: 未分類
「香りの館」と高田屋嘉兵衛
 「益習の集い」さんから、「淡路島偉人探訪」というバス旅行を計画したので、ご先祖岡田鴨里のねむる栄福寺でお話してくれないか、との依頼があり、気軽にひき受けた。しかし、その時は前後に淡路島でゆっくり過ごす気でいたが、ごろう様が他界され、その後、里子にでていた二羽の雛オカメを育てることとなったため、二日間の弾丸ツアーとなった。
濃い二日間だった。

 バスは朝9:30洲本港出発なので、前の日に淡路島に入っていなければいけない。そこで前日、15日に羽田空港につくと、空港ロビーのテレビはNHKの北朝鮮のミサイル発射のニュースを報じている。確か「東京上空に飛ばす」とかぬかしていたが、すわ飛行機遅れるかとおもいきや、北海道の上空を飛んだため私の便には影響なかった。いい加減にしてほしい。

 飛行機が神戸に近づくと上空から、淡路島、紀伊半島、神戸などが一望できる。この風景を見る度、海上交通が主流だった江戸時代淡路島の港は今でいうハブ空港だった地政学的な理由が体感できる。

 飛行機から降りてバスに乗り込み、まずは、淡路島の北にある「パルシェ香りの館」に向かう。オカメインコ友達のYさんからカイヴァリヤダム・ヨーガ研究所(KaivalyaDham Yoga Institute)のジャガディッシュ医師(jagdish bhutada)が来日講義のためにここに滞在されているので、本場のアーユルヴェーダの脈診をしていただいてはとお誘い戴いたためである。

 香りの館のアクセスは異常に悪い。高速バスでつく場合、遠田というバス停から車で五分と書いてあったので、歩けば30分くらいかと気軽に歩き出してみたら、意外に遠い。時速何キロで五分なんだよ。しかし、GPSで自分のいる場所を確かめてみて気づく。「ここ、うちのご先祖のうまれた地(岡田鴨里は養子でもとは津名郡王子の庄屋砂川の四男)の近くだよ。」ということは今私がみている風景、遠目にみえる郡家の街も淡路島の西海岸もご先祖が日々目にしていた風景ではないか。そう思うと、うねうねした農道を歩くのもまた一興である。

 「パルシェ香りの館」は香りをテーマにした体験型テーマパークである。『日本書紀』推古天皇3年(595年)夏4月の条に淡路のこの地に香木が漂着し、それが日本におけるお香の起源とされていることにちなんだもので、日本の田舎に突然ドイツやオランダの町並みを作ろうとすることよりは条理にかなっている。しかし、アロマキャンドルとか、ポプリとかの洋風なノリなところが残念である。ここは一つ香道でもやって和風に徹した方が観光客も喜ぶ。

 パルシェにつくとジャガディッシュ医師が観光から帰るのをまちつつYさんとお話しする。Y さんは幼い頃から魚釣りをする父親につられてこの淡路島のサンタモニカ(笑)にきていたそうで、四歳の頃を皮切りにこのビーチで不思議なビジョンをみていたそうである。香木が流れ着いたとの伝のある地にたつ枯木神社で昼寝をすると、海の中からいー男があがってくる夢をみるのだそうである。Yさんによるとこの「香りの館」のあるあたりが淡路島で一番気がいいのだという(写真は一人10本までお持ち帰り無料の百日紅)。そこで、なんとついこの間この香りの館に接した土地を購入されたそうで、いずれアーユルヴェーダとヨーガを体験できる宿泊施設を作るとのこと。巫女(女シャーマン)ついに拠点をもつ。

百日紅jpg

 そこで、せっかくきたので、「香りの湯」にもつかってみる。お風呂からは西海岸が一望にみわたせる。ここには日本最古の神社といわれる伊弉諾神宮もあり、ご先祖の歴史意識はこういう土地柄もあって培われたのかとも思う。それにしても、、いー湯である(写真は香りの館から郡家方面をのぞむ風景)。

 お風呂からあがって、観光から戻ってこられたジャガディット医師に脈診をしていただく。主訴は喘息。私はヴァータ、ピッタ体質であり、午後七時以後に食事をするなとか、運動しろとか、オイル水をのんで翌日吐くとか食事療法とかいろいろなアドバイスを賜る。
香りの館17

 16:00に益習の集いのKさん(元街の職員さん)がお迎えにきてくださり、五色町にある高田屋嘉兵衛公園に向かう。Kさんは現役の頃、この公園の整備のために奔走されたそうで、スポットを案内してくださる。実は阿久悠はこの地の出身で、公園内には彼の「あの鐘をならすのはあなた」にちなんだ鐘がある。私がとりあえずならして喜んでいると、K さん曰く「6000万円かかった」とのこと。

 そして野球少年たちのブロンズ像のところまでくると、
 Kさん「これ何だか分かりますか?」
 「『24の瞳』ですか? あれは、小豆島か。」
 Kさん「瀬戸内少年野球団(阿久悠の自伝小説)ですよ。」
 「じゃあこの真ん中の女の人夏目雅子ですか?  に、似てませんね。」
 Kさん「でもって後ろの男の人は郷ひろみです」
 「(ノーコメント) その隣の像はわかります。隣に時代がかったロシア人がいるから高田屋嘉兵衛ですね」
 Kさん「あちらの建物は、菜の花ホールです。この公園の整備には20億かかっています」

  ここで一句。「ふるさとや〔創生金〕バブルは遠くなりにけり」
          (本歌: 降る雪や 明治は遠くなりにけり)
 
そして、われわれは閉館時間間際の高田屋嘉兵衛記念館にすべりこむ。高田屋嘉兵衛は司馬遼太郎の歴史小説『菜の花の沖』で一躍有名になった、淡路の一漁民から船もち豪商にへと成功し、それだけでも十分すごいのに、ロシアに拉致られたことを契機に民間外交官をかってでて、日露の外交紛争を解決に導いた人。当時の鎖国下の身分制度のかっちりした日本においては、ありえないくらい数奇な運命を歩んだ人で、司馬遼太郎好みである。

 岡田鴨里はこの高田屋嘉兵衛の最古の伝を書いており、高田家に所蔵される嘉兵衛像には藤沢東畡(石濱純太郎先生の姉君がこの方の孫に嫁入りしている)が賛をつけている。ていうか、この賛の解読、四国大学の太田先生がしてらっしゃる(笑)。
嘉兵衛記念館

 館長さんと益習の集いの会長さんが昵懇だとのことで、むりくりに館長さんを休日・時間外出勤させてしまっていた。ごめんなさい。
 館長の斉藤さんは嘉兵衛とロシア側との交渉を欧文文献で追跡しており、仏文出身でであるにもかかわらず、ロシア語を一生懸命習得してゴローニンの日本幽囚記を全訳をだし、ゴローニンの子孫との交流も行われていて、非常に熱心に館の運営を行っておられ、学究的で尊敬できる方。
http://www.takataya.jp/nanohana/miyage/kahe_book.htm
どこの資料館とはいわないけど、自治体がハコモノつくっても中にいる人にやる気がないと、特別展はおろか、常設展示品ですら万年同じもの、研究会も開かれず、出版物もでず、だから人も入らず、はては閉館なんて流れはザラである。この記念館はその逆である。
 私たちがホールで映像をみてでてくると、館長さんとんできて、私がさしあげた拙稿をご覧になり

 「稲田騒動の檄文とかありますね」と言われたので、
 「すいません、私の曾祖父が徳島藩側で、ちょっと大村純安さんとやらかしちゃったので、あっでも現場にはいってません。」
 益習の集いの会長さん「うちの祖先は稲田のやられた側です」
 というと、びっくりされていた。
 その晩は会長先生のお宅にとめていただき、暖かいおもてなしをしていただいた。私が愛鳥がなくなって菜食になっていますともうしあげれば、日本旅館で野菜料理を注文してくださり、朝はぐーすか寝ている間に朝ご飯の準備もしていただくなど、本当に尊敬できる心の広い方である。

というか私が変人で適当すぎるのかもしれない。関係各位、すみません。
高田屋嘉兵衛管長さんと

 長くなったので二日目は後編に。
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