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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2017/11/04(土)   CATEGORY: 未分類
アジャ・リンポチェの『回想録』を読んで
 10月は自転車から落ちたり、止まらない鼻血がでて焼灼したりといろいろ大変でした。気を取り直して、十一月です。下旬にカルマパにささげる展覧会が京都の名刹泉涌寺様であります。紹介文によるとカルマパ自身とアーティストによる写真、書、絵画ならびに17代の転生に光をあてた43分の記録映画も上映されるとのこと。面白そうなので期間中に行ってみたいと思う。
 あと、11月14日の熊本公演も日が近づいてきたのでも一度告知。無料ですのでお近くのかたどうぞ。
カルマパ17世展示会-1

●カルマパ17世 慈しみの眼差し チベット仏教・文化芸術展 
・主催 チベット・ハウス 香港
・日時: 11/16(火) - 26 (日) 9時~17時
・御寺 泉涌寺

●熊本地震復興祈念仏教講演会「21世紀を生きる為の慈悲と利他の教え」
【日時】11月14日(火)
【場所】 熊本県医師会館 2階~3階 大ホール 熊本市花畑町1番13号
18:40  第一部 平岡 宏一先生(清風学園専務理事・校長 / 種智院大学客員教授) 講 演
  演題「菩提心の功徳  ~「死に向かって心を整える」ということ ~」
19:40  第二部  石濱裕美子(早稲田大学教育学部教授) 講 演
  演題「ダライ・ラマ法王、半生の軌跡 ~ 一難民から世界の聖者へ ~
【問い合わせ先・主催】 ダライ・ラマ法王佛教講演会実行委員会事務局
住所 熊本市中央区帯山4丁目5番18号 医療法人祐基会帯山中央病院内
   ☎(096)382-5164 平日 午前9時30分~午後5時
   E-mail hhd-kumamoto@higo.co.jp


 最後に、11月3日に護国寺で行われた講演の報告をかねてアジャ・リンポチェの回想録の紹介を。

 清風学園の時も思ったのだが、なぜか来賓に大使館関係者とか、学者が多い。とくに「おっ」と思ったのは、寺本婉雅師のお孫さん寺本正さんがお見えだったこと。知らない人のために解説すると寺本婉雅とはアジャ・リンポチェの先々代を日本に招待し、ダライラマ13世と1906年にクンブムで、1908年に五台山で会見した東本願寺の民間工作員僧である。講演のあと、ご挨拶して、祖父君のことについて伺うと、正さんが生まれる十年前になくなっているので、まったくわかりませんと言われた(笑)。 
寺内とアジャ

講演は中国語で行われアジャ・リンポチェがギャグをいうと、日本語通訳が入る前に笑っている人がかなりいたので聴衆は中国籍のモンゴル人が多数いたと思われる。

 当代のアジャリンポチェは8世で、先代のパンチェンラマ10世と関係が深い。パンチェンラマについて簡単に説明すると、ダライラマは中央チベットにあり政治権力を掌握し、一方パンチェンラマはシガツェを中心とするツァン地域に荘園を持ち代々学者として尊敬を集めてきた。百年前の1904年にイギリスがチベットに侵攻した時、ダライ・ラマがモンゴルに亡命すると、清朝官僚はダライラマの称号を剥奪しパンチェンラマ9世をダライラマ13世の代わりにしようとした。しかし、パンチェンラマは固辞しチベット政府も国民も受け入れなかったため、結局ダライラマ13世が後事を託したガンデン座主を追認させられた。

 ダライラマ13世が1913年にチベットに帰還すると、当然のことながらダライラマ13世とパンチェンラマ9世の関係は微妙なものとなった。やがてパンチェンラマは中華民国に亡命しそのままなくなった。ダライラマとパンチェンラマが再びまみえるの1951年に、人民解放軍とともにパンチェンラマ10世がラサ入りした時であり、ともに代替わりした後のことであった。

 1959年にダライラマ14世がインドに亡命した後もパンチェンラマ10世は中国に残り続けた。文革の時は軟禁状態となり、結婚もさせられ、それでも文革終了後は破壊されたチベット僧院のたてなおしに励んだ。結果、パンチェンラマは本土チベット人の心のよりどころとなり、今でもその遺影は多くの僧院で目にすることができる。

 この10世パンチェンの師匠がアジャ・リンポチェの叔父さんのギャヤ・リンポチェである。

 当代のアジャ・リンポチェは8世であり、人民解放軍がチベットに侵攻した1950年にアムド(東北チベット)に生まれた。1952年に先代の生まれ変わりに認定されたが、認定を行ったのはパンチェンラマ10世であった。パンチェンラマはリストを一目みて「この子だ」といったが、師であるギャヤ・リンポチェは自分の甥をひいきして選んだと言われることを恐れ、公平にタクディル占いで選ぶように進言して、その占いを行ってもやはり彼の名前がでたとのことである。

 アジャ・リンポチェの子供時代は、大躍進政策、宗教改革、文化大革命が続き、中国共産党による殺戮と文化破潰の嵐にもみくちゃにされた。アジャ・リンポチェの父親は彼がわずか7才の時に連行されたまま他の多くの男達同様帰ってこなかった(写真はリンポチェが最後にあった時のお父さん)。アジャとパパjpg
僧院は閉鎖され、一般の僧は強制還俗、高僧は投獄され、アジャ・リンポチェも僧衣を脱がされ小学校にいれられてビオネールの格好をさせられた(回想録の裏表紙の写真がそれ)。文化大革命の頃は土木作業と農作業にあけくれ、仏教の勉強は隠れて独学するしかなかった。

 文革が終わると解放されたパンチェンラマ10世とともに破壊された寺院の復興にあたり、共産党の仏教組織でトントン拍子に出世したものの、1989年にパンチェンラマ10世が不審死をとげ、その直後に天安門事件がおき、おまけにダライラマ14世がノーベル賞をとり、つまりは、共産党が国際的に孤立しダライラマの国際的地位があがったことによって暗転する。

 共産党はそれまで転生僧の認定を行う際には「ダライラマの意見を打診する」というまっとうな政策をとっていたのが、天安門事件で硬化し、ダライラマが指名したパンチェンラマ11世を否定するため、パンチェンラマは籤できめると言い出したのだ。そして、ダライラマの選んだ子供ぬきで候補者をあつめ、共産党員の子供が選ばれるように籤に細工をした。アジャ・リンポチェはこの詐欺っぷりについても回想録の中で具体的に暴露している。

 こうして登場するのが有名な「偽パンチェン、ゲルツェンノルブ」である。

 そのうえ、共産党はアジャ・リンポチェをパンチェンラマ11世の師匠に任命しようとした。アジャ・リンポチェの伯父さんのジャヤ・リンポチェがパンチェンラマ10世の先生であったため、それにちなむことで偽パンチェンに箔を付けようとしたのである。ここで、アジャ・リンポチェの忍耐は限界を迎えアメリカへ政治亡命したのである。
 
 アジャ・リンポチェは中国では高級官僚として非常に恵まれた生活をしていた。しかし、その地位も僧院もスタッフも信者もすべてを捨てて、言葉の通じないアメリカで一から生活を築き直すことを選んだのである。このことだけでも中国政府が彼に強いたことがいかに彼の忍耐を越えていたかがよくわかる。

 彼が亡命後、江沢民に手紙をだしてダライラマと対話するように進言したところ、やっときた返事は、彼の手紙の内容ガン無視で、あなたの僧院であるクンブムには名月がかかって、黄河の水は世界で一番美しいよという七言絶句の漢詩であった。直接話法でいえば、「かえってこい」だろう。

 私はこの件をよんだ時、ダライラマ14世に対して周恩来がいった言葉を思い出した。1957年、ダライラマが亡命を迷っていることを察した周恩来は「仏像は仏壇があるから拝まれる。チベットという仏壇からでたらあなたはただの人だ」みたいなことをいって暗に釘を刺した。しかし、江沢民にしろ周恩来にしろ、こういうことをいっている時点でいかに仏教について無知・無理解かがよくわかる。

 ダライラマにせよ、アジャ・リンポチェにせよ彼らがなぜ尊敬されるのかといえば、彼らがりっぱな僧院の中で多くの信者に囲まれているからではない。彼らの学び身につけている仏教自体が普遍的であり、それを体現しているから尊敬されているのである。それが証拠にダライラマ14世もアジャ・リンポチェ8世も、生まれた土地を離れ、宮殿も僧院もみな失って一難民となっても、現在はも故郷の人ばかりではなく多種多様な人たちの尊敬を集めて、より多くの人々に仏教の教えを届け慈善活動に励んで影響力を失うことはない。

 共産党の高級官僚なら金や地位がなくなればそれこそただの人だが、〔まともな〕僧侶は違う。楽な生活を望むのであればそもそも亡命しない。亡命されたくなかったら、彼らが自分たちが尊敬している人の名を口にだして言えるように、また、彼らが価値あるものと認めている仏教を自由に学び、修行できる環境を作ればいいのだ。黙っていてもみな亡命先から喜んで戻ってくる。チベット人の文化をきちんと理解して尊重すれば誰も焼身自殺で抗議したりしない。

 回想録の見所は中国共産党のチベット地域や仏教界に対する政策がつねに的外れで強権的でそのような中でも笑顔をたやさず何とか中国と共存していこうとする本土チベット人の姿であろう。現時点で回想録は英語、台湾中国語、モンゴル語、日本語に翻訳されて各国の人に読まれている。現在はロシア語訳を準備中だという。アジャ・リンポチェは回想録の印税を慈善事業に使っているとのことである。
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じゅんこ@北白川 | URL | 2017/11/09(木) 19:28 [EDIT]
清風学園、伺いたかったのですが叶いませんでした。
お話、伝えていただきありがたかったです。
● >じゅんこさん
シラユキ | URL | 2017/11/09(木) 21:44 [EDIT]
少しでも当日の雰囲気が伝わればと思います。
● 寒風お見舞い
マサムネ | URL | 2017/11/12(日) 14:48 [EDIT]
満州族は日本が助けたから殲滅されましたが、蒙古族はロシアの後ろ盾で辛うじて独立を維持したというところでしょうか。
仏門の世相に例えると…。
戦後に共産主義の洗礼を受けてチベットを見放し結局は日本人に見放された坊さん達。
血縁での相続は仏教ではない、と批判されながらも僧伽としての寺院を守り、法統を共にするチベットへの理解を失わずに来たお寺さん。
立松和平氏の鳩摩羅什も、チベットではありませんが為政者に妻帯を強要されながら法華経典を編んで仏門を継承させた歴史が描かれていましたね。
鳩摩羅什の史話も、争わず支那に仏門を支えた事績でありました。

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