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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2017/12/12(火)   CATEGORY: 未分類
チベットの土地神さま(ユラ)祭り
 9日(土)は、ロディ・ギャツォ(34)監督が故郷の村のお祭りをとった「ぼくの村は天空にある」を見に行った。ロディ・ギャツォ氏はカム(東チベット)のポンダ村(tshva ba spom mda') に生まれ、17才でラサにでて、そこで日本女性と知り合い2007年に来日。日本で中学・高校・大学とでて現在は日本語はペラペラである。今回の映像は2010年に撮影されたもので日本の支援者たちがいろいろ協力し現在の形におさまった。聴衆はリタイア世代が多い。

 彼が治めた映像はポンダ村のユラ(yul lha)、すなわち土地神様のおまつりである。
ユラは里山の頂上近くの塚にささったポールの上に宿っていて、普段は近寄ってはならないとされているのが、一年に一回の祭りの際にはこの塚の周りにみなで集う。

 以下、映像自体やアフタートークで聞いたお話のうち面白いと思った部分を抽出する。それは主に二点に分かれ、映像のメイン・テーマである土地神ユラについて、もう一点は中国による近代化がこの地域にもたらした変容についてである。
ぼくの村は天空にある-1


ユラは神であり世俗内の存在である。従って、人間の願い事を聞いてくれることもあるが、祟ることもある。たとえば街にでて祭りに参加できない人に祟ったりするため、参加できない人はお香やタルチョーを知り合いに託して祭りに参加してもらう。ラマも土地神は仏のように五体投地で拝んではいけないという。
ぼくの村は天空にある-2

 ユラの姿はそのユラがやどる地形を人の姿にイメージしたものらしい。たとえば赤い山に住むユラだと赤い顔の人の姿をとる。ロディさんの村には脇の下から逆さに後ろをみるとユラの世界が見えるという老人がいる。ある時、そのおじいさんが「どこそこのユラが荷物をしょってかえってきて自分の家をたてかえた」というと、その直後に、ユラの住む山の近くの寺の再建が中国政府によって許可されたのだという。以来、おじいさんは一目置かれるようになった。

 祭りの手順はこうである。まず、男たち(昔は女性も参加していたが最近は女性は馬に乗らなくなったので男ばかりになった)は山頂近くにあるユラの塚にささったポールのまわりを「ラゲルソー」、とみなで叫びながら七回時計回りにまわる。その側では俗人が経典を読誦する。

 そのあと中腹でみなで輪になって踊り、食事をともにし、シモネタに興じる。この中腹には家畜が好む背の低い木が生えていて、ロディさんは子供の頃、この木の上で寝ているという小人を探したという。その小人の黄色い帽子を家にもってかえると、夜に小人が帽子を取り返しにくるので、返すことと交換に願いを聞いてもらうのだという。
 盗んでおいて言うことを聞かせるとはまさに世俗。

 最後に山の麓でみなが参加しての競馬、村の広場とかで歌舞音曲を楽しむ。
ぼくの村は天空にある-1
 
 さてもう一つ面白かったのは祭りの変容についてである。

 1994年、ポンダ村の近くに飛行場ができた。ポンダ村の北には東チベットの中心地チャムドがあるので、事実上、このチャムド空港である。このことにより、道が整備され、若者たちはどんどん村から町へでいいって、もう祭りが維持できない状態であるという。2013年はみな馬ではなくバイクにのって集まってきたので、村長が怒ってバイクを禁止にした。このことに関して聴衆の一人が、

「少子高齢化で日本でも地域の祭りの維持が困難となっていますが、あなたもこうやって街にでてきてますよね。どうしたら伝統の維持とか可能になると思いますか」

と質問為たところ、ロディさんが

「仏教の信仰をきちんと守っていれば何とかなる。」

とおっしゃっていたのが印象的だった。

仏教は世界標準で評価を受けているチベットの文化であり、チベット仏教をきちんと理解したい人は、チベット語を学ばないといけない。このことが、チベット語が死語にならずに続いてきた一つの理由でもある。チベット仏教徒が多くの人口をもつ隣国に併呑されなかったのも、すでにチベット仏教という高度な精神文明があり、漢文明をとりこむ必要がなかったことが大きい。チベット仏教を信仰してればチベット人のアイデンティティは失われないから、結果としてチベット文化は維持される、そういう意味だろうなと感じた。

 最近日本で人類学を学ぶチベットの方たちの多くが、自らの故郷をこうして映像に記録したり、研究対象にしたりしている。人類学のフィールドワークは、まずその社会にはいって人間関係を構築し、そこで録音や撮影をすることを意識させない状態を作ることからはじまる。なので、もともとその共同体からでてきたロディさんはもっとも理想的な撮影者である。実際、村の人たちがカメラをまったく意識せず普段の会話やジョークをとばしていたのは新鮮だった。

 というわけで非常に面白かったものの、最後に残念な点を一言。あまりよいカメラを用いていないため、風の音が電気的な雑音のようにバリバリと入っておりこれはどうしても直せなかったとのこと。次作もあるというので、今度はもっとよいカメラでお願いします。
 
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