白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2018/03/18(日)   CATEGORY: 未分類
蜂起から十年 〜チベットに関する報道や世論はどう変化したか〜
長野において北京オリンピックの聖火リレーが行われて十年を記念した会を長野でやります。私もスピーカーになります。これを機会に善光寺様にお参りして、1960年に亡命チベット人第一世代が善光寺にたてた宝篋印塔もあり、善光寺様とチベットの関係は結構古いのです。

●北京オリンピック長野聖火リレー10周年記念集会
日時: 2018年4月30日(月) 10:00 - 12:00
場所 : 長野市生涯学習センター(〒380-0834 長野県長野市鶴賀問御所町1271−3 TOiGO West)
FBのイベント頁はここ

この間の10年の変化について3月10日の蜂起記念日にチベット料理やタシテレでお話した内容を以下に記録のために転載します。

まずは

(1) 蜂起のもっとも詳細な推移ここでダウンロードできます。 

(2) 次に当日のレジュメの内容をはっあおきます。2008年の蜂起にともなう国内外の動きについて、SNSの力、また、報道の変化などについてふれています。


2007年12月〜2008年1月 中国製冷凍ギョーザ事件により、日本の対中イメージ悪化。
2月13日 ユダヤ人映画監督スピルバーグ氏、ダルフール紛争に対する中国政府の対応を批判して、北京オリンピックの芸術顧問を辞退。
3月2日 アイスランドの歌手ビョークが上海公演で、Independenceという曲を歌い、Tibet, Tibet.......Raise your flag! Higher, higher! を叫ぶ。
3月17日 ラサの僧侶による蜂起記念日の平和的デモ隊を中国公安が武力鎮圧。それに抗議したラサ市民が蜂起。数日後、抗議行動はチベット人居住域(四川・甘粛・青海)全体に広がる。チベット報道は連日新聞の一面を飾る。
3月22 日1500名からなる六本木のフリー・チベット・デモ(以後、mixiや2ちゃんねるを通じてオフ会のような形で普通の人がチベット国旗掲揚、デモ、護国寺の大師堂でのお祈りなどに集まり始める。)
3月25日 ギリシアで行われた聖火リレーの採火式に国境なき記者団のベルナール氏が、五輪旗をかたどった抗議旗を掲げて乱入。以後、ロンドン(4月6日)、パリ(4月7日)、サンフランシスコの聖火リレー(4月9日)はチベット問題に抗議する西洋人たちによって混乱。舞台がアジアに移ってからは、中国大使館による在外中国人の動員により聖火リレーは中国国旗に埋まる。
4月8日 牧野聖修(民主党国会議員: 当時)がチベット支援団体に呼びかけセーブ・チベット・ネットワークを立ち上げる。
4月21日 パリはダライラマ14世と中国の人権活動家胡佳氏をパリの名誉市民に。
4月26日 善光寺が北京オリンピック聖火リレーの出発地点を返上しフリー・チベットの象徴に。長野は愛国中国人のふる圧倒的な数の中国国旗とわずかな数チベット・ウイグル・南モンゴル旗に埋まる。
5月6-5月10日 胡錦涛国家主席来日。5月9日には主席が夕食を食べる中国料理屋に接した日比谷公園がチベットサポーター8000人で埋まる。
5月9日 胡錦涛国家主席、早稲田大学で講演。早稲田大学ではじめてのフリー・チベットデモ。
5月12日 四川省、羌族・チベット族自治州を震源とするマグニチュード7.8の地震が発生。フリー・チベットは哀悼の意を表し活動を自粛。
8月8日 北京オリンピックの開会式にあわせて、Candel4Tibet、護国寺、常圓寺などでチベット蜂起による死者を追悼。開会式で漢族の子供に少数民族の衣装を着せて中国の旗の下に集まるべたな演出が話題となる。
★北京オリンピック開催期間中、東中野のポレポレ座で「チベットを知る夏」、善光寺でもチベット百人展などが行われる。
★『タイム誌』恒例の2008年「世界で最も影響力のある100人」の第一位にダライラマが選ばれる。
9月15日 リーマン・ブラザースが破産し、世界金融恐慌。
★10月17日-11月9日 ダライラマとチベットに捧げた「失われた平和展」(Missing Peace)東京で開催。
11月17日 亡命政府と中国との間の三回目(2002年から数えると八回目)の「対話」が決裂したため、ダライラマは「自らの中道路線(対話による自治要求)は国際社会からの評価は受けても、中国との対話においてはまったく助けにならず、障害となっている」(前月10月11月26日TCV創立記念スピーチ)との認識のもと、亡命者代表会議を招集し、自治か独立かを話し合わせる。
11月29日 デリーで国際チベット支援団体特別会議はじまる。参加30カ国、総勢105人。
12月1日 亡命者代表会議は「自治路線」でいくことを確認して閉会。
12月10日 世界人権デーにあわせて、中国の知識人(劉暁波、チベット人のウーセルさんも含む)が中国の民主化を訴える08憲章を発表。18条には連邦制が提唱されており、チベットの自治を求める主張に答えている。これはチェコの憲章77にちなんだもの。

●【参考資料① 当時のデモ日程と参加心得】大規模OFF板【胡錦濤来日時に東京をチベット旗だらけにするOFF 】@ wiki

〔解説〕以下は当時mixiや2ちゃんねるに流れていたデモ情報と参加心得(懐かしい・・・)の一例である。ダライラマはチベットの高度自治をガンジーやキング牧師以来の非暴力の政治手法によって実現しようとしていたため、在日チベット人、KIKU、セーブチベット・ネットワークの牧野氏はチベット人の状況を伝えることをメインにし、暴力的な要素を排除したデモを心がけた。この姿勢は日本のリベラル層の目をチベット問題に向けることに一役かった。一方、チベットのことを知ってというよりは、中国に対する、または、その中国に配慮をしつづけるマスコミ(テレビ、新聞、知識人)に対する反感からデモに参加した人のの中には、過激な言動をとる者もいた。これに本人たちの憂さ晴らし以外の効果があったどうかは永遠の謎である。


オフ日程まとめ(04月11版)
間違いや抜けの指摘よろしくお願いします。
4月10(木)─【ダライ・ラマ14世 来日】
.      東京 07:00頃 成田空港
.      東京 13:00~ 国会前
4月12(土)  奈良 10:00~13:00 奈良自転車道
4月13(日)  東京 13:00~ 国会前
4月17(木)─【楊潔褫 来日】
.      埼玉 15:00~19:00 大徳寺
4月19(土)  愛知 13:00~ 名古屋 若宮大通公園
       広島 15:00~16:00 原爆ドーム
4月20(日)  千葉 12:00~ 成田山新勝寺
4月25(金)─【五輪聖火 出迎え】
4月26(土)─【五輪聖火リレー in 長野】
.      長野 8:00~13:00 善光寺→若里公園
.      奈良 詳細未定
4月27(日)  大阪 調整中
.      千葉 12:00~ JR千葉駅東口→千葉神社 5月03(日)  京都 17:00~ 鴨川東岸
5月06(火)─【胡錦濤 来日】
.      東京 午後 羽田空港
.      千葉 11:00~JR船橋駅交番前→船橋大神宮(希望者はその後千駄ヶ谷デモに合流)
5月07(水)─【皇居(予定)】
5月08(木)─【早大】
      大隈講堂前13:00集合(早大生以外・学生以外もOK)
      http:月月sports11.2ch.net月test月read.cgi月offmatrix月1210078276月
5月09(金)─【横浜、大阪(予定)】
5月10(土)─【奈良】
       15時30分からデモ
5月25(日)─【渋谷】
      集まってはいけない
      千葉 11:00~  JR成田駅前→成田山新勝
(中略)

Q:旭日旗を一緒に振りたいんだけど
A:旭日旗を民間人があげるのは、本来なら官位詐称。
旭日旗は陛下より国と国民のため命を捧げる軍に対して授けられた軍の神聖なものであり、
自衛官でも私服では取り扱わない。タダの制服でも最低限、略礼装をする。
むろん、隊として旗を扱い、私用には絶対に使わない。

日本が嫌いな人がその本来の意味を軽視するなら兎も角、
日本文化を尊重しようとする人間が旭日旗を私用するのは激しい違和感を感じる

Q:中国国旗(五星紅旗)を燃やしちゃ駄目?
A:日本の刑法には外国国章損壊等(第92条)という法律があり、外国旗を損壊や汚損等した時は処罰される可能性があります。
  他国の国旗を破ったり、燃やしたりするのは、著しく品位を欠いた行為です。絶対に止めてください。

Q:(ギョーザ、トマト、石etc...)を投げつけたい
A:このオフは、今チベットで横暴を働いている中国への批判も込めて、平和裏に行うべきです。
  あなた自身傷害罪で罪に問われる可能性もありますし、暴力的行為も辞さない他のデモと同じ一線を画すことで、コキントウに与える精神的効果も大きくなるでしょう。「また乱暴なデモか・・・」と思わせない新鮮さが重要です。
  何より、あなたがその行為をとることで、他のオフ参加者が多大な迷惑を被ることになります。物を投げるのはやめてください。
(中略)

Q:参加者を装い、中国国旗を燃やしたり、暴力行為に訴えようとする奴を見た時は?
A:口頭で、あるいは力ずくでも自分でやめさせようとするのはよくありません。
  例えば、近くにいた、チベット国旗を持った人が、おもむろに生卵を投げようとした、とします。
  そこでそいつの腕をつかんで投げられないようにした場合、後で傷害を負ったなどと難癖をつけられるかもしれません。
  当日はそういった行為から海外要人を守るべく、厳戒態勢が敷かれているはずです。すぐに近くの警察官に知らせましょう。当日は参加者を装い、貶めるような行為をする輩が確実に混じると思われます。冷静かつ迅速に対処しましょう。

Q:なぜ「とにかく世界中で日本だけが虐殺国家を歓迎してるなんて思われないようにしないといかん 」なの?
  外国からのイメージ重視なの?消極的じゃないの?チベットのことは二の次?
A:この問題提起から「それじゃいかん!」といううねりが沸き起こったOFFです。
  もちろんチベット問題に憤りを感じているのが発端なのは間違いありませんが、   これは外国へという対外的な意味ではなく、   日本の報道や政府の姿勢に憤りを感じて対内的に抗議という意味があります。

Q:なぜ・紳士的な無言の抗議(大声で抗議したりしない)なのですか?
A:このOFFのコンセプトはデモだシュプレヒコールだ大声だというのに躊躇敬遠してしまう層でも、「ただ旗を振るだけでいい」ことで比較的容易に参加でき、いわゆる初心者にとって敷居を低く設定しています。
  無関心層や敬遠していた人たちに、容易に最初の一歩を踏みだし易いことを重視しています。
  一般的な抗議活動でない形式というのは魅力的だし効果的だと考えています。
  また、非参加者が見たときの嫌悪感をやわらげる、賛同を得やすいという意味もあります。
  そのために「無言」という言葉を使用しています。
  大きく行動できる人たちにとっては不十分だと思えるOFF(大がかりに激しい波も必要ですが)でしょうが、
  問題意識を抱えながらも躊躇している層を掘り起こし、
  見た目は穏やかだけど実際は大きなうねりのようなOFFになるように進めています。
     [デモ]      シュプレヒコール 熱い抗議の意思表示
      ↑↓
    [このオフ]     まずはチベット国旗を振ってみる      
      ↓↑
 [行動できないあなた]   憤る

●【参考資料② 蜂起以前の朝日新聞記事】
中国、ダライ・ラマ帰国呼びかけ チベット自治区きょう成立20周年( 1985年09月01日朝日新聞朝刊)→チベット関連の記事のソースが中国政府のみに偏っていた

 【北京31日=加藤特派員】中国は1日、チベット自治区成立20周年を盛大に祝うが、これを機にインドに亡命中の最高位の「生き仏」、ダライ・ラマ14世に対し「帰国を歓迎する」との呼びかけを再び強め始めた。これには、今なおチベット仏教の教主として幅広い信仰を集めるダライ・ラマの帰国実現によって、漢民族とチベット民族の団結をうたい、祖国統一やチベットの近代化建設のテコにしようとの中国側の思惑がのぞく。
 チベットは59年にダライ・ラマが反乱に失敗してインドに亡命後、貴族や寺院の封建勢力による農民支配が「民主改革」を経て解消され、65年に中国の省や特別市と並ぶ1級行政区の1つである「自治区」として成立した。しかし、すぐさま文革期に突入、自立性や民族、宗教を無視した政策によって、全国でも最も貧しい地区として取り残されて来た。
 新たな「チベットの目覚め」は、やっと80年代に入ってから。80年春、党中央のチベット開発に関する重要会議が開かれ、続いて胡耀邦党総書記ら中央指導者らが相次いで現地入りし、民族政策が本格化した。
 チベットの指導幹部はこれまで漢民族が大半を占めていたが、チベット族をどしどし登用するなどの方向転換が行われた。これと並行してダライ・ラマへの帰国の呼びかけが始まり「亡命政府」特使の北京入りも実現した。
 1日、ラサを中心に繰り広げられる記念式典に、党中央は胡啓立中央書記処書記と李鵬副首相の次代を担うニューリーダー2人を送り込んだ。また、代表団の一員としてダライ・ラマに次ぐ生き仏のパンチェン・ラマ全国人民代表大会常務副委員長を参加させた。パンチェン・ラマ氏は82年に、およそ20年ぶりにチベットに里帰りを許されたが、現在でもチベット族の精神的指導者としてダライ・ラマと並び人気が高い。
 そのパンチェン・ラマ氏はラサで30日記者会見し、中国のチベット政策やダライ・ラマ帰国問題について語ったが、この中で同氏は「79年以後、ダライ・ラマは代表を北京に派遣し、中央と接触を保っている。以前のような敵視の態度から関係改善を望む態度に変わってきたように思う」と指摘。帰国問題については「温かく迎えるという中国政府の政策は一貫しており変わっていない」と強調した。

●【参考資料③蜂起以前の朝日新聞記事】
数百人の部隊展開 住民「漢族は嫌い」 騒乱の中国・アバ・チベット族自治州説(2008年03月19日朝日新聞夕刊) →ソースを中国以外からも求めるようになった

 中【ミヤロ(中国四川省北部)=古谷浩一】チベット族による騒乱が相次いで伝えられる中国四川省のアバ・チベット族チャン族自治州に18日、入った。確認できただけで数百人の人民解放軍の部隊や大量の武装警察が展開。解放軍兵士によるチベット族の住居への家宅捜索と見られる行為も目撃した。
 四川省の省都、成都から北に約300キロ。白い桃の花が一面に咲き、山にへばりつくように石造りのチベット風住居が並んでいる。
 ナンバープレートのない迷彩色のトラック1台と四輪駆動車2台が止まっていた。約30人の兵士が黒い銃を横に構えて整列。真向かいの家から兵士が厳しい口調で叫ぶのが聞こえた。家の前では青と黄の民族衣装姿の年配女性が緊張した表情で兵士の方を見ていた。 「どうしたのか」と、車の窓を開けて尋ねると、銃口がこちらを向いた。童顔の兵士は「早く行け」というように首を振った。 騒乱のあった同自治州アバ県に車列を組んで向かう100台以上の武装警察の車体には、「社会の安定を断固として維持せよ」と書かれている。路上で警備をしていた警官は「ここは軍事管制下にある」と話した。 アバ県に向かう道では複数の検問もあった。住民の一人は「(騒乱を起こして)逃亡したチベット僧を捜しているそうだ」とささやいた。 なぜこのような事態になったのか。道を歩いていたチベット族の若い女性に尋ねると、「あなたたちには決して理解できないことだ」。その女性は「私は(漢族が)嫌いだ」と、吐き捨てるように言った。同自治州の州都マルカンまで約100キロのミヤロの警察派出所前で車を止められた。警官は記者だと分かると、「すぐに成都に戻れ」と迫った。理由について警官は「この先で自然災害が起きているためだ」と言ってにやりと笑った。 ◇
 アバ県では16日、約200人が警察署に火炎瓶を投げ、建物が焼失する騒乱があった。ロイター通信が伝えた。インドに拠点を置くNGOチベット人権民主化センターは、アバ県での治安部隊との衝突による死者は計15人としている。
 アバ・チベット族チャン族自治州は多数のチベット人が住み、甘粛省に接する地域などでは住民の8割以上を占める。

 ・警察隊発砲で3人死亡情報
 【北京=坂尻信義】インドに拠点を置く非政府組織(NGO)チベット人権民主化センターは19日、中国四川省甘孜チベット族自治州甘孜県で18日午後、反政府デモ中の群衆数百人に向けて中国の武装警察部隊が無差別に発砲し、3人が死亡、15人が負傷したとの情報を発表した。米政府系放送局のラジオ自由アジアは、少なくとも2人が死亡したと伝えた。
 ・最新の装甲車、軍の印隠す? ラサで撮影の映像
 【台北=林望】中国に詳しいカナダの軍事評論家、平可夫氏は18日、香港のテレビ局がチベット自治区ラサ市内で撮った映像に中国軍の最新鋭装甲車が写っている、と指摘した。
 15、16日に香港の複数テレビ局が撮影。同氏によると軍機械化歩兵師団の精鋭部隊に配備されている90式と92式の重装甲車で、映像では軍の所属を示す赤い星印を白い布で覆っていた。
 ・騒乱参加の100人が出頭
 中国中央テレビによると、チベット自治区政府の常務副主席は18日までに、ラサの騒乱に加わった約100人が警察当局などに出頭したことを明らかにした。商店などから奪った現金を持って出頭した者もいるという。中国当局は17日までに出頭すれば処分を軽減すると呼びかけていた。(北京)
 ・「ダライ・ラマ策動の証拠ない」 クリステンセン米国務省高官
 【ワシントン=鵜飼啓】中国の温家宝(ウェンチアパオ)首相が18日の記者会見でチベット人と治安当局の衝突を「ダライ・ラマ14世一派の組織的策動」と断じたことについて、米国務省東アジア太平洋局のクリステンセン次官補代理は18日、「(策動に関する)証拠は持ち合わせていない」と述べた。

【まとめ】2008年を境に何が変わったか
 
(1) フリー・チベット運動がネット(mixi 2ちゃんねる)経由で広がったことが示すように、テレビ、新聞といった既存のメディアが人々を操作する時代が終わり、ネット経由の情報(デマも含む)が人々の行動に対して力を持つようになった。

(2) 批判に押される形で、中国に対する配慮からチベット人の実情を報道していなかったメディアもチベットに関する事実を報道しはじめた。中国への"忖度"がもっともある朝日新聞ですら、2008年以後は平和解放、ラマ教、活仏といった中国よりの言葉を避け、亡命政府の言い分やチベット人の抗議を記事化するようになった。2008年3月22日の六本木デモの解説に際して、読売テレビで「チベットは独立国であったが・・・」という映像が流れた時は我が耳を疑った(それ以前は中国の一部という中国の公式見解をそのまま流していた)。チベットに関する書籍の点数も飛躍的にのびた(それ以前は大半はダライラマの法話、チベット死者の書などの仏教書)。

(3) 結果として、メディアが沈黙していたため日本人一般にほとんど知られることなかったチベット人の現状が2008年以後は広く知られるようになった。今や、中国の言い分を全面的に信じる日本人は存在しなくなった。
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