白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2018/07/04(水)   CATEGORY: 未分類
旧満州国の故都にいってみた (前編)
かつて日本は清朝最後の皇帝溥儀をかつぎだし大陸に満洲国という傀儡国家をたてた。当時新京と呼ばれた満州国の首都は、今は吉林省の省都長春となっている(写真は旧関東軍本部。現在は吉林省の共産党の建物)。
36643301_10210318589555273_2061022971329249280_n.jpg

 その長春に学会に行ってきた。そのこころは、満州国の特務機関の命をうけてチベット入りした野元甚蔵さんが、ジェブツンダンパ9世の探索にかかわっていそうだからである。

 野元甚蔵さんがチベットのミッションの詳細について詳しく語られなかったこと、また、多田明子さんが復刻された多田等観師の年譜に、野元氏のチベット入りには特段の目的がなかったかのように書かれていることから、これまでの日本の研究では野元さんのチベット入りはとくに動機がないかのように言われてきた(写真は野元甚蔵)。

野元写真

 しかし、ことしの一月に他界した研究者Paul Hyerが2013年に書いた論文では、野元甚蔵はジェブツンダンパの転生探索のミッションの一環として派遣されたと書いてあった。言われてみれば、満州国の特務は命令者と現場の人間のみが情報を共有し文書を残さない組織だったし、野元さんが当時外務省に提出した報告書『入藏記』は特務の仕事については外務省には語ってない可能性が高いし、野元さんが日本をたつ直前に参謀本部長と会食していることから任務の重要性が推し量られるし、チベットで身を寄せたアンチン・フトクトも、デロワ・フトクトもそもそも日本軍がジェブツンダンパの探索に利用すると明言していた人物でることから、野元さんがジェブツンダンパ9世の探索のミッションに携わっていた可能性は私的にはかなり高いような気がする。

まあそんなこんなで、今回長春で学会があるというので参加してみることにした。野元さんが、森繁久弥が、かつて目にしていた満州国の首都の残滓が、少しは体験できるかもしれない。

しかし、授業期間中であるためそうそう休めず、三泊四日(その上一泊は機中泊)というむちゃくちゃな弾丸ツアーである。町歩きの時間なんかたぶんない。

旅立ちの朝。 わたしは某駅で成田エクスプレスを待っていた。私の席は9号車にあるため、9号車と書かれた位置にたつ。しかし、時間がきても電車はこない。やっときたーと思ってみると、列車は減速どころか加速して私の前を通り過ぎていく。どうも短い六両編成で、私は12輛編成の9号車の停車位置にたっていて、ホームのはしっこの視界の外にとまっていた車両がみえなかったのである。
なんで九号車で六両編成なんだよ

パニクった私は駅員のいそうな部屋をばんばんたたくと、駅員がでてきて「すぐあとの電車にのってとにかく東京駅までいって、そこできた成田エクスプレスの空いている席に座ってください」とのことであった(全席指定じゃないのかオイ笑)。

 こうしてしょっぱなから出鼻をくじかれつつ、時間がないので保険もwifiもなしで飛行機にのりこむ。着席すると同行のK先生はすぐに爆睡。しかし、飛行機はサテライトから寸毫も動かず。しばらくしてやっと滑走路についたと思ったら今度はまたえんえんととまったまま。しばらくしてK先生がおきて外をみて、

K先生「ああ、先生つきましたね」
「飛んでねえよ」

ここで一時間近く遅れるが、われわれの中国国内での乗り継ぎ時間はたった二時間しかない。限りなくやばい。CAの方は「地上の職員とは話がついています」と頼もしい笑みを浮かべたものの、飛行機からおりても誰も誘導してくれない。さすが中国。地上係員との連絡はついていない。仕方ないのでANAの制服をきた人にフライト情報をみせて訴えると、誘導してくださり、何とか乗り継ぎにまにあう。ここで気力も体力も使い果たす。

 長春にとぶ国内線はテレビも音楽もないので、スニーカーから上着までルイヴィトンのロゴマークのはいったまちがいなくパチモンをきているおじさん、ならびに15才くらいの娘をつれた腕と足にいれずみを入れたコワモテのおっさんを観察して過ごす。中国は豊かになったためか、80年代の香港ファッションが全土に普及しているね。今宵は満月で眼下に広がる雲の中には稲妻がひらめき壮絶な眺めである。

長春につくとお迎えの方がきてくださっており、タクシーで50分かけて会場となるホテルへ。この時点でへとへと。
翌日九時から学会は開始。最初はいきなり記念撮影である。自分の発表がおわると帰る人がいること、次の日に帰る参加者に現像した写真をわたすために時間が必要なためであろう。

私の発表は初日午後。
640.jpeg

中国のモンゴル、チベット系の学会での発表は中国語か民族原語のものが多く、英語の発表は少ない。中国人の数に圧倒され言葉を失いつつあるチベット人、モンゴル人は、自らの言語での発表に拘る人が多い。最近ひらかれたとある北京のモンゴル系学会では、参加者全員にモンゴル語での発表が暗に強制されたそうな。モンゴル人たちは喜んでいたが、それってモンゴル語の口語ができない外国の研究者をすべてしめだすことで、研究レベルの低下を招く恐れはないのかと問いたい。

 今回私が参加した学会は民族区分からいうと、中国人、満州人、モンゴル人、チベット人、シベ人、ロシア人、台湾人、朝鮮人、ロシアの漢族、日本人と、満州国も真っ青のダイバーシティ。こうなると民族言語は一つに絞れず、漢語の発表が中心となる。しかし、私は英語で発表する。だって読めてもしゃべれないもん中国語。O先輩から「あんた何語で司会するの?」と言われたので、
「〔英語と漢語〕ちゃんぽん」と元気に答える。

 できないものはできないのである。

 驚いたのが、東北師範大学は日本語教育の中心なので日本語ができる学生がたくさんいたこと、また台湾から参加した若い研究者たちも来日経験がなくてもみな日本語ができること。台湾の若者の日本語能力の高さはにらんだとおり、アニメの影響であった。そのの晩わたしは台湾の若者とエヴァンゲリオンや銀英伝の話をしてもりあがったのである。
アニメの力すごい。
 
[ TB*0 | CO*0 ] page top

COMMENT

 管理者にだけ表示を許可する

TRACK BACK
TB*URL
Copyright © 白雪姫と七人の小坊主達. all rights reserved. ページの先頭へ