白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2017/12/19(火)   CATEGORY: 未分類
2017年チベット関係ニュース
早いもので今年ももうすぐ終わる。いつもはちょっと寂しい気がするのに今年はろくな事がなかったので(ついでに言えば去年もろくなことはなかった)、年が改まるのが待ち遠しい。来年はきっとよくなる。絶対よくなる。

 さあ、気を取り直して、お待ちかね、2018年のチベット・カレンダーが出ました。A4サイズで1000円です。チベットの祭り、ダライラマ法王、チベット高原の美しい風景などがあなたに一年よりそってくれます。こちらの頁からお申し込みができます。
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さて、今年も独断と偏見で選んだ恒例のチベット三大ニュース! 時系列でいきます。

1. 1月27日 エリオット・スパーリング急死

2. ダライラマ法王が外遊を二回キャンセル。8月17から20日に予定されていたボツワナ訪問、11月に予定されていた日本訪問も中止。

3. 9/11 ダライラマ、ロヒンギャ危機でアウンサン・スーチー氏に平和的解決を促す。


 1. エリオット・スパーリングはユダヤ系アメリカ人のチベット史家で、歴史研究でもフリー・チベット活動でもチベット界を牽引していたので、突然の死はチベット人を悲しませた。アメリカはフリー・チベットの本山なので、はやく彼をつぐような逸材の歴史家にして活動家が台頭してほしい(切実)。

 2. 今年法王様が二回海外訪問をキャンセルされたことで、不謹慎なメディアはハゲタカのようにダライラマ15世に関する話題を口にしはじめた。まあいうても1959年にダライラマ14世が亡命した直後から、「最後のダライラマ」という失礼なワードがかけめぐり、以後もダライラマが、体を壊したり、予定をキャンセルしたりすると、かならず次代のダライラマについての議論はでていたので、今にはじまったことではない。さすがに観音菩薩さまだけあって、チベット史上最悪の時代を生きているチベット人のためにもっとも長寿なダライラマとなり、いまも基本的にはお元気である。このようなキャンセルが起きてしまうのは、一つにはダライラマの側近のスケジューリング能力が極端に低いことがあげられる。
 普通に考えて8月にアフリカ、9月にロンドン、イタリア、北欧と訪問して、一ヶ月間かいてすぐに日本とかあの御年の人にくむ日程ではない。今でもダライラマにビザをおろす国力の無い華僑とか、タイ人の仏教徒はみずからダラムサラに赴いて法を授かっているので、個人的にはこれからは日本人も有志が出向くスタイルにする方が法王のお体に触らなくていいと思う。 
 2008年にダライラマ法王が政治のトップから退いたのは、チベット人が彼の力をかりずとも自分の力で社会を運営していけるように準備期間をつくるためであった。まもってくれる国もなく、楽ではない環境にいるチベット人の方がわれわれよりはるかにダライラマの存在によって救われている。だから、彼らの気持ちを考えれば、外野、とくにマスコミはダライラマの来世をうんぬんを中国VSチベットの安易な政治ネタレベルで扱わないでほしい。

 すでに〔もっとも情報が遅れていた〕日本でもチベットが中国共産党に「平和解放」されたというプロパガンダを信じる人はほぼいなくなったし、多くの人がチベット仏教を通じて仏教思想のエッセンスを理解できるようにもなった。これからはこの人類共通の精神文明をその価値のわかるものみなで支えていくことを考えなければならない。


3. ロヒンギャは直接チベットに関係していないが、ミャンマーはチベットと同じく仏教国であり、ミャンマー民主化の象徴であるアウンサン・スーチー氏が自宅軟禁されていた頃、ダライラマやツツ大主教がその解放のために奔走していたこともありあげた。輪廻やカルマを信じる仏教徒でもいろいろな条件が重なるとこうなってしまうという、人間の業の強さをこの問題では感じる。

 最後に、フリチベ・カレンダーについていた、「中国入国禁止をくらった有名人リスト」その出禁の理由を簡単に解説しましょう。中国当局の鎖国っぷりがようくわかります。18世紀にマカートニーが「北京にすんで貿易したいです」って言ったら、

乾隆帝「中国に住んで中国人と同じ格好して、二度とイギリスに戻らず中国の法に従ってイギリスとも交流しないならいいよ」ていってたことを激しく思い出しました。

レディ・ガガ 2016年にダライラマと会見した。
ケイティ・ペリー 2015年に台湾コンサートで、中華民国の国旗をふり、学生運動を象徴するひまわり(太陽花)をもったから。
マルーン5 ダライラマ法王80才の誕生日に祝賀ツイートをした。
ビョーク、オアシスらはフリーダム・チベット・コンサートに出演したから
シャロン・ストーン 2007年に四川大地震が起きた際「地震は中国のチベット自治区に対する扱いのカルマ」と発言したから。
17年のミス・カナダ、アナスタシア・リン 中国のメディアは最初は中華系の快挙!と大騒ぎしたくせに、彼女が中国の一党独裁や言論規制を批判するスピーチを国連でしたら、あとはご想像にまかせます。
ハリソン・フォード 中国における人権侵害を批判。スターウォーズの主役でも関係なし。
リチャード・ギア 言わずとしれたハリウッドでもっともまじめな仏教行者。
Selena Gomez インスタにダライラマとの写真をアップし2016年にビザ下りず。
ボンジョビ ダライマの映像をコンサートでたびたびつかって2015年にビザおりず。
マーチン・スコセッシ ダライラマ14世の自伝を映画化した「クンドゥン」の監督。アカデミー賞監督だって関係なし。

では、来年がみなさまにとってよい御年でありますように。
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DATE: 2017/12/12(火)   CATEGORY: 未分類
チベットの土地神さま(ユラ)祭り
 9日(土)は、ロディ・ギャツォ(34)監督が故郷の村のお祭りをとった「ぼくの村は天空にある」を見に行った。ロディ・ギャツォ氏はカム(東チベット)のポンダ村(tshva ba spom mda') に生まれ、17才でラサにでて、そこで日本女性と知り合い2007年に来日。日本で中学・高校・大学とでて現在は日本語はペラペラである。今回の映像は2010年に撮影されたもので日本の支援者たちがいろいろ協力し現在の形におさまった。聴衆はリタイア世代が多い。

 彼が治めた映像はポンダ村のユラ(yul lha)、すなわち土地神様のおまつりである。
ユラは里山の頂上近くの塚にささったポールの上に宿っていて、普段は近寄ってはならないとされているのが、一年に一回の祭りの際にはこの塚の周りにみなで集う。

 以下、映像自体やアフタートークで聞いたお話のうち面白いと思った部分を抽出する。それは主に二点に分かれ、映像のメイン・テーマである土地神ユラについて、もう一点は中国による近代化がこの地域にもたらした変容についてである。
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ユラは神であり世俗内の存在である。従って、人間の願い事を聞いてくれることもあるが、祟ることもある。たとえば街にでて祭りに参加できない人に祟ったりするため、参加できない人はお香やタルチョーを知り合いに託して祭りに参加してもらう。ラマも土地神は仏のように五体投地で拝んではいけないという。
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 ユラの姿はそのユラがやどる地形を人の姿にイメージしたものらしい。たとえば赤い山に住むユラだと赤い顔の人の姿をとる。ロディさんの村には脇の下から逆さに後ろをみるとユラの世界が見えるという老人がいる。ある時、そのおじいさんが「どこそこのユラが荷物をしょってかえってきて自分の家をたてかえた」というと、その直後に、ユラの住む山の近くの寺の再建が中国政府によって許可されたのだという。以来、おじいさんは一目置かれるようになった。

 祭りの手順はこうである。まず、男たち(昔は女性も参加していたが最近は女性は馬に乗らなくなったので男ばかりになった)は山頂近くにあるユラの塚にささったポールのまわりを「ラゲルソー」、とみなで叫びながら七回時計回りにまわる。その側では俗人が経典を読誦する。

 そのあと中腹でみなで輪になって踊り、食事をともにし、シモネタに興じる。この中腹には家畜が好む背の低い木が生えていて、ロディさんは子供の頃、この木の上で寝ているという小人を探したという。その小人の黄色い帽子を家にもってかえると、夜に小人が帽子を取り返しにくるので、返すことと交換に願いを聞いてもらうのだという。
 盗んでおいて言うことを聞かせるとはまさに世俗。

 最後に山の麓でみなが参加しての競馬、村の広場とかで歌舞音曲を楽しむ。
ぼくの村は天空にある-1
 
 さてもう一つ面白かったのは祭りの変容についてである。

 1994年、ポンダ村の近くに飛行場ができた。ポンダ村の北には東チベットの中心地チャムドがあるので、事実上、このチャムド空港である。このことにより、道が整備され、若者たちはどんどん村から町へでいいって、もう祭りが維持できない状態であるという。2013年はみな馬ではなくバイクにのって集まってきたので、村長が怒ってバイクを禁止にした。このことに関して聴衆の一人が、

「少子高齢化で日本でも地域の祭りの維持が困難となっていますが、あなたもこうやって街にでてきてますよね。どうしたら伝統の維持とか可能になると思いますか」

と質問為たところ、ロディさんが

「仏教の信仰をきちんと守っていれば何とかなる。」

とおっしゃっていたのが印象的だった。

仏教は世界標準で評価を受けているチベットの文化であり、チベット仏教をきちんと理解したい人は、チベット語を学ばないといけない。このことが、チベット語が死語にならずに続いてきた一つの理由でもある。チベット仏教徒が多くの人口をもつ隣国に併呑されなかったのも、すでにチベット仏教という高度な精神文明があり、漢文明をとりこむ必要がなかったことが大きい。チベット仏教を信仰してればチベット人のアイデンティティは失われないから、結果としてチベット文化は維持される、そういう意味だろうなと感じた。

 最近日本で人類学を学ぶチベットの方たちの多くが、自らの故郷をこうして映像に記録したり、研究対象にしたりしている。人類学のフィールドワークは、まずその社会にはいって人間関係を構築し、そこで録音や撮影をすることを意識させない状態を作ることからはじまる。なので、もともとその共同体からでてきたロディさんはもっとも理想的な撮影者である。実際、村の人たちがカメラをまったく意識せず普段の会話やジョークをとばしていたのは新鮮だった。

 というわけで非常に面白かったものの、最後に残念な点を一言。あまりよいカメラを用いていないため、風の音が電気的な雑音のようにバリバリと入っておりこれはどうしても直せなかったとのこと。次作もあるというので、今度はもっとよいカメラでお願いします。
 
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DATE: 2017/11/26(日)   CATEGORY: 未分類
法王のいない秋
●前座が本番に熊本講演

 キャンセルされなければ11月15日は法王が熊本で復興祈念の講演をされるはずの日であった。この講演はsamaya projectの企画であり、非常に士気の高い方たちが準備をされていたので、前日にはチベットを知る講演会をやり、翌日、法王の本講演を聞くという段取りになっていた。そしてその前座の講演に呼ばれたのが私である。

 そういうわけで今回法王様の来日がキャンセルされると、実行委員会の方々の落胆は一通りではなく、せめて前座の講演だけでもやろうという流れが生まれた。私はそれを聞いた時、ちいさーなホールでひっそりと実行委員会の方たちだけ集めて行うのかと思っていたら、何か熊本県医師会館でやるという。

 やな予感がした。

 熊本空港につくと、お迎えはいいとあれほどいったのに、平岡宏一先生が熊本側の僧侶小山さんとともにきてくださっていた。平岡先生、なぜか麻生副総理みたいな帽子をかぶっており、マフィア風である。空港から市内に向かう車内で小山さんから地震の時のお話を伺う。平岡先生は地震からわずか三日後に学校であつめた義援金をもってジープで現地入りし、その時からのお付き合いだそうである。

 ホテルは熊本城の目の前にあるホテル・キャッスル(まんまや)。昭和35年に天皇陛下が熊本にいらした際に建てられたホテルで、以後、皇族の方が熊本にお見えになるたびにお泊まりになっていたが、近年は老朽化が進み、日航ホテルに客を取られ、おいうちをかけるように昨年の地震で傾いて、廃業の危機にさらされた。しかし、由緒あるホテルなので存続をという声をうけて、気合いで改修し今年で58年目を迎えていた。

 キャッスルから歩いて会場となる熊本医師会館に向かう。着いてみると建物新しい。入り口にランの鉢植えがどかどか並んでいる。
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 平岡先生「法王さまをおよびするのは、この会館のこけら落としの意味もあったんですよね」

 おいおいおい、このホール立派すぎ。完全に私では役不足。「なんでもっと小さいホールにしてくれなかったんだよおおおぉ」と心の中で叫ぶ。ちなみに熊本の地方紙はダライラマ法王を右翼か何かと勘違いしていて、アンチの記事はのせてくれたものの、一切協力はしてくれなかったので今回の講演も宣伝なし。

 というわけで、立派な会場に実行委員会とその関係者の方々、プラスフルファを加えてひっそりとお話させていただきました。平岡先生は入菩薩行論をラマから教わったような形で解説してなかなか面白かった。私はダライラマ14世、一難民から世界の聖者へ、というタイトルでダライラマの人生とその影響力についてお話させていただく。

 実行委員会のメンバーは細川氏について熊本にやってきて代々藩医をつとめていた家系の末裔とか、細川氏にくっっいて熊本入りしたお寺の末裔とかで、彼らの地震の時の八面六臂の活躍を聞かせていただくと、昔の支配層がそのまま現在の熊本をしょって立っている。うちのご先祖なんて淡路を明治維新後わりとすぐに飛び出したのに。聴衆よし、会場よしで、ダライラマがお見えになっていたら本当によい集まりになっていたであろう。

 翌日、藩医のご子孫K子先生のご案内で熊本城を参観する。熊本城もは細川氏より前に熊本入りをした加藤清正によって建設され、熊本の基盤も加藤清正が整備したため、熊本県人に加藤清正は圧倒的な人気を誇る。お城の中には加藤清正を祭る神社があり、町中に清正公熊本入り●×周年とか記念の年ににたてられた銅像や碑文が見られる。
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 彼がつくった熊本城は日本三名城の一つに数えられ、神風連の乱でも、西南戦争でも落ちなかった天下の名城である。それが今回の地震では報道されている通りの、くずれっぷりで、小山さんから伺ったお話では「嘘か本当かは知りませんが、加藤清正が作ったところは盤石で、近代に入って補修した部分が今回くずれたと聞きました」

 崩れ落ちた石垣の石は等間隔にはならべられて一つ一つに番号がふられており、これを3Dでコンピューターにとりこんで、どの岩とどの岩が組み合わさるのかを計算させるのだそうな。アンコールワットで見た復元法と同じだ。あの床下の土が全部崩れ落ちてもまだ頑張っている櫓は、受験生とかのお守りになりそう。
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 それから小山さんが空港まで送って下さる。途中震源地の益城町で地震でずれた地形などをみせてくださる。そして神木神社の前で車を降りると、そこにはなんか報道関係者らしい人が三人、何をするでもなく手持ち無沙汰につっ立っている。
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 この神社は写真の通り全壊しており、一年たった今も被災後の姿のままである。写真をとって門の前に戻ると小山さんが報道の方たちの話していたので、私が「あの人たち何しているんですか」と伺うと、

 小山さん「七五三でお参りにくる人を撮りにきているみたいです」
 私「いやでも本殿つぶれてますよ」
 小山さん「だから復興してがんばっていますっていう絵をとりにきたのでは」
 私「復興してないですよ」

 そうして再び空港に向かう。途中小山さんから悲しいお話を伺う。

 小山さん「法王様がお見えになるというので、特別な法座を特注で作ったんですよ。法王様に座っていだきたかったです。法王様がお座りになることで完成する椅子なんです」
 私「それ見てみたいです」
 小山さん「木工房山河童でフェイスブックを検索してみてください」
 言われたとおりに検索してみると、このページがでた。
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この椅子には地・水・火・風の四つのエレメントが象徴されていて、その上にすわる法王様を空=宝珠にみたてた作品であつた。
 注文主は五倫塔をイメージし、最後の宝珠を法王様にみたてていたようだが、私が面白いと思ったのはチベットでも法王は直接お名前をいうことは失礼だということで、如意宝珠(yid bzhin nor bu)などの間接的な呼称で呼ばれていることである。
 同じ発想にいたるのは、やはり日本も仏教国だからか。
 山河童さんに敬意を表してFBのアドレスをあげておきます。


●アジャ・リンポチェ in仙台

 ダライラマの来日キャンセルはかくして招聘主に多大なる経済的・精神的な打撃を与えたが、意外な余波が、別の高僧たちをお世話している人々の周囲にも及んだ。

 それは、目的を喪失したダライラマ法王日本代表事務所が、自伝の和訳のプロモーションのために来日されていたアジャ・リンポチェの後援をはじめたことに始まった。アジャ・リンポチェの管轄する組織の日本支部のX氏が「格が上がった」と舞い上がった結果、キャパオーバーとなり、いろいろやらかした。アジャ・リンポチェのフォロワーはモンゴル人が多いので遊牧民力でスルーしたものの、そうはいかないのが何事も几帳面に事を進める日本人支援者である。

 アジャ・リンポチェは東日本大震災がおきた時、仙台のWさんが主催して松音寺さまで法要・支援を行った。その結果、松音寺には現在、アジャ・リンポチェが故郷の寺からひそかに持ち出した緑ターラー尊が祭られている(ちなみに、松音寺は緑ターラー尊のご朱印を作ったそうなのでマニアはご朱印帳をもってくるべし)。X氏はこのW氏に対してもやらかし、のみならず、Wさんを無視して事をすすめ始めたので、Wさんはお手伝いを降りた。

 講演当日、Wさんは複雑な感情を懐きつつ一般参加でリンポチェの話を聞きにいった。すると、冒頭リンポチェは主催者に感謝を表明する場面において、会場を提供してくださった松音寺のご住職についで、Wさんにカターを献じたのである。そして当初の予定では本来の法話の前に関係者だけの精進料理の席が予定されていたのが、会のあと、誰でもが参加できる食事会に内容が変更されていた。アジャ・リンポチェは関係者の誰を叱ることも、外すこともなく、本来の功労者であるWさんをたてたのである。

 高徳のラマのまわりでよくおこる、オセロ効果、すまわちまっくろな状況が、リンポチェの言動で一瞬に白に変わっていくというあの現象である。さすがわリンポチェ。

 関係者各位、本当にお疲れ様でした。

●カルマパ17世展

 25日にはチベット学会で京都に行ったついでに、泉涌寺で行われていたカルマパ17世展をみにいった。カルマパといえば2000年の最初の新聞の一面に亡命したカルマパ17世の写真がのったことを今でも思い出す。あの時14才だったカルマパ17世も今は32才である。彼はダライラマのお膝元のダラムサラのギュト大僧院に滞在しつつ、宗派を主催している。

 知る人は知っているが、カルマパはダライラマ14世に認定された今のカルマパともう一人カギュ派の高僧シャマル・リンポチェに認定されたカルマパがいた。二人のカルマパは今のカルマパの認定の根拠となった先代の遺書の真贋をめぐって長く争っていたが、今のカルマパが14才の時、亡命してダライラマの下に至ると一気にこちらがホンモノという空気が強くなり、今年に入ってもう一人のカルマパは還俗をして事実上、カルマパの継承争いは今のカルマパの勝利に終わった感がある。

そんな折のカルマパ展である。
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 今回の主催は香港チベットハウスで、初日にはダライラマの妹君のジェツンペマ氏とカルマパ17世のお姉さんが来られた。展示会場には今回の展示会の手配をした方がいらして、その方によると、今回の展示会には香港の映画監督ウォン・カーアイ監督とか、女優のフェイ・ウォンとかも関係しているとのこと。
 会場では2016年製作のカルマパならびにカギュ派の高僧がオールスターで出演するイメージ法話DVD「乗願再来九百年The 17th Journey of Compassion」がエンドレスでながれていて、これが映像がきれいだし法話もよくまとまっているので買ってもうた。

雰囲気を知っていただくため。さわりを以下にあげておきます。なかなかいいですよ。

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「仏教を信仰することはただ一つの宗教、宗派に属することではない。ただ信仰すればいいものではない。自分を知り、世界を知り、真理を追究し、一切のものの苦しみを共有し愛することだ」

「絵に描いた炎になってはいけない。絵の炎は暗闇に入っても周りを照らすことはないが、ホンモノの炎は暗闇の中で周囲を照らす。」

「内なる世界と外なる世界はつながっている。心が暗いとその人がみる世界は暗い。心が明るい人は世界を明るくみる。」

「私が〔カルマパの主催者に代々伝わる〕黒帽子を戴いた時、何ももたないものが苦しまないように、とねがった」
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DATE: 2017/11/04(土)   CATEGORY: 未分類
アジャ・リンポチェの『回想録』を読んで
 10月は自転車から落ちたり、止まらない鼻血がでて焼灼したりといろいろ大変でした。気を取り直して、十一月です。下旬にカルマパにささげる展覧会が京都の名刹泉涌寺様であります。紹介文によるとカルマパ自身とアーティストによる写真、書、絵画ならびに17代の転生に光をあてた43分の記録映画も上映されるとのこと。面白そうなので期間中に行ってみたいと思う。
 あと、11月14日の熊本公演も日が近づいてきたのでも一度告知。無料ですのでお近くのかたどうぞ。
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●カルマパ17世 慈しみの眼差し チベット仏教・文化芸術展 
・主催 チベット・ハウス 香港
・日時: 11/16(火) - 26 (日) 9時~17時
・御寺 泉涌寺

●熊本地震復興祈念仏教講演会「21世紀を生きる為の慈悲と利他の教え」
【日時】11月14日(火)
【場所】 熊本県医師会館 2階~3階 大ホール 熊本市花畑町1番13号
18:40  第一部 平岡 宏一先生(清風学園専務理事・校長 / 種智院大学客員教授) 講 演
  演題「菩提心の功徳  ~「死に向かって心を整える」ということ ~」
19:40  第二部  石濱裕美子(早稲田大学教育学部教授) 講 演
  演題「ダライ・ラマ法王、半生の軌跡 ~ 一難民から世界の聖者へ ~
【問い合わせ先・主催】 ダライ・ラマ法王佛教講演会実行委員会事務局
住所 熊本市中央区帯山4丁目5番18号 医療法人祐基会帯山中央病院内
   ☎(096)382-5164 平日 午前9時30分~午後5時
   E-mail hhd-kumamoto@higo.co.jp


 最後に、11月3日に護国寺で行われた講演の報告をかねてアジャ・リンポチェの回想録の紹介を。

 清風学園の時も思ったのだが、なぜか来賓に大使館関係者とか、学者が多い。とくに「おっ」と思ったのは、寺本婉雅師のお孫さん寺本正さんがお見えだったこと。知らない人のために解説すると寺本婉雅とはアジャ・リンポチェの先々代を日本に招待し、ダライラマ13世と1906年にクンブムで、1908年に五台山で会見した東本願寺の民間工作員僧である。講演のあと、ご挨拶して、祖父君のことについて伺うと、正さんが生まれる十年前になくなっているので、まったくわかりませんと言われた(笑)。 
寺内とアジャ

講演は中国語で行われアジャ・リンポチェがギャグをいうと、日本語通訳が入る前に笑っている人がかなりいたので聴衆は中国籍のモンゴル人が多数いたと思われる。

 当代のアジャリンポチェは8世で、先代のパンチェンラマ10世と関係が深い。パンチェンラマについて簡単に説明すると、ダライラマは中央チベットにあり政治権力を掌握し、一方パンチェンラマはシガツェを中心とするツァン地域に荘園を持ち代々学者として尊敬を集めてきた。百年前の1904年にイギリスがチベットに侵攻した時、ダライ・ラマがモンゴルに亡命すると、清朝官僚はダライラマの称号を剥奪しパンチェンラマ9世をダライラマ13世の代わりにしようとした。しかし、パンチェンラマは固辞しチベット政府も国民も受け入れなかったため、結局ダライラマ13世が後事を託したガンデン座主を追認させられた。

 ダライラマ13世が1913年にチベットに帰還すると、当然のことながらダライラマ13世とパンチェンラマ9世の関係は微妙なものとなった。やがてパンチェンラマは中華民国に亡命しそのままなくなった。ダライラマとパンチェンラマが再びまみえるの1951年に、人民解放軍とともにパンチェンラマ10世がラサ入りした時であり、ともに代替わりした後のことであった。

 1959年にダライラマ14世がインドに亡命した後もパンチェンラマ10世は中国に残り続けた。文革の時は軟禁状態となり、結婚もさせられ、それでも文革終了後は破壊されたチベット僧院のたてなおしに励んだ。結果、パンチェンラマは本土チベット人の心のよりどころとなり、今でもその遺影は多くの僧院で目にすることができる。

 この10世パンチェンの師匠がアジャ・リンポチェの叔父さんのギャヤ・リンポチェである。

 当代のアジャ・リンポチェは8世であり、人民解放軍がチベットに侵攻した1950年にアムド(東北チベット)に生まれた。1952年に先代の生まれ変わりに認定されたが、認定を行ったのはパンチェンラマ10世であった。パンチェンラマはリストを一目みて「この子だ」といったが、師であるギャヤ・リンポチェは自分の甥をひいきして選んだと言われることを恐れ、公平にタクディル占いで選ぶように進言して、その占いを行ってもやはり彼の名前がでたとのことである。

 アジャ・リンポチェの子供時代は、大躍進政策、宗教改革、文化大革命が続き、中国共産党による殺戮と文化破潰の嵐にもみくちゃにされた。アジャ・リンポチェの父親は彼がわずか7才の時に連行されたまま他の多くの男達同様帰ってこなかった(写真はリンポチェが最後にあった時のお父さん)。アジャとパパjpg
僧院は閉鎖され、一般の僧は強制還俗、高僧は投獄され、アジャ・リンポチェも僧衣を脱がされ小学校にいれられてビオネールの格好をさせられた(回想録の裏表紙の写真がそれ)。文化大革命の頃は土木作業と農作業にあけくれ、仏教の勉強は隠れて独学するしかなかった。

 文革が終わると解放されたパンチェンラマ10世とともに破壊された寺院の復興にあたり、共産党の仏教組織でトントン拍子に出世したものの、1989年にパンチェンラマ10世が不審死をとげ、その直後に天安門事件がおき、おまけにダライラマ14世がノーベル賞をとり、つまりは、共産党が国際的に孤立しダライラマの国際的地位があがったことによって暗転する。

 共産党はそれまで転生僧の認定を行う際には「ダライラマの意見を打診する」というまっとうな政策をとっていたのが、天安門事件で硬化し、ダライラマが指名したパンチェンラマ11世を否定するため、パンチェンラマは籤できめると言い出したのだ。そして、ダライラマの選んだ子供ぬきで候補者をあつめ、共産党員の子供が選ばれるように籤に細工をした。アジャ・リンポチェはこの詐欺っぷりについても回想録の中で具体的に暴露している。

 こうして登場するのが有名な「偽パンチェン、ゲルツェンノルブ」である。

 そのうえ、共産党はアジャ・リンポチェをパンチェンラマ11世の師匠に任命しようとした。アジャ・リンポチェの伯父さんのジャヤ・リンポチェがパンチェンラマ10世の先生であったため、それにちなむことで偽パンチェンに箔を付けようとしたのである。ここで、アジャ・リンポチェの忍耐は限界を迎えアメリカへ政治亡命したのである。
 
 アジャ・リンポチェは中国では高級官僚として非常に恵まれた生活をしていた。しかし、その地位も僧院もスタッフも信者もすべてを捨てて、言葉の通じないアメリカで一から生活を築き直すことを選んだのである。このことだけでも中国政府が彼に強いたことがいかに彼の忍耐を越えていたかがよくわかる。

 彼が亡命後、江沢民に手紙をだしてダライラマと対話するように進言したところ、やっときた返事は、彼の手紙の内容ガン無視で、あなたの僧院であるクンブムには名月がかかって、黄河の水は世界で一番美しいよという七言絶句の漢詩であった。直接話法でいえば、「かえってこい」だろう。

 私はこの件をよんだ時、ダライラマ14世に対して周恩来がいった言葉を思い出した。1957年、ダライラマが亡命を迷っていることを察した周恩来は「仏像は仏壇があるから拝まれる。チベットという仏壇からでたらあなたはただの人だ」みたいなことをいって暗に釘を刺した。しかし、江沢民にしろ周恩来にしろ、こういうことをいっている時点でいかに仏教について無知・無理解かがよくわかる。

 ダライラマにせよ、アジャ・リンポチェにせよ彼らがなぜ尊敬されるのかといえば、彼らがりっぱな僧院の中で多くの信者に囲まれているからではない。彼らの学び身につけている仏教自体が普遍的であり、それを体現しているから尊敬されているのである。それが証拠にダライラマ14世もアジャ・リンポチェ8世も、生まれた土地を離れ、宮殿も僧院もみな失って一難民となっても、現在はも故郷の人ばかりではなく多種多様な人たちの尊敬を集めて、より多くの人々に仏教の教えを届け慈善活動に励んで影響力を失うことはない。

 共産党の高級官僚なら金や地位がなくなればそれこそただの人だが、〔まともな〕僧侶は違う。楽な生活を望むのであればそもそも亡命しない。亡命されたくなかったら、彼らが自分たちが尊敬している人の名を口にだして言えるように、また、彼らが価値あるものと認めている仏教を自由に学び、修行できる環境を作ればいいのだ。黙っていてもみな亡命先から喜んで戻ってくる。チベット人の文化をきちんと理解して尊重すれば誰も焼身自殺で抗議したりしない。

 回想録の見所は中国共産党のチベット地域や仏教界に対する政策がつねに的外れで強権的でそのような中でも笑顔をたやさず何とか中国と共存していこうとする本土チベット人の姿であろう。現時点で回想録は英語、台湾中国語、モンゴル語、日本語に翻訳されて各国の人に読まれている。現在はロシア語訳を準備中だという。アジャ・リンポチェは回想録の印税を慈善事業に使っているとのことである。
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DATE: 2017/10/19(木)   CATEGORY: 未分類
ジャスティス・リーグな11月のチベット・イベント
 みなさん、ジャスティス・リーグってしってますか? 11月に封切られるアメコミ実写の映画なのですが、アメコミファンの私としても今回は特別の感慨があります。それはね~、以下の私の愚痴話を聞くと分かります。

 不死身のスーパーマンが姿を消したあと、世界的に犯罪が増加した。そのため、バットマンが、ワンダー・ウーマンとアクア・マンとフラッシュとビクター・ストーンを召集して、とにかく数の力で戦おうとする、それがジャスティス・リーグ。

 で、ここからが本題です。本来ダライラマ法王が講演をされるはずだった熊本で、キャンセルできない飛行機のチケットを買ってしまった方が結構な数おりまして、その方たちを中心にチベット・イベントをやってくれとの声があがりました。

 で、私と平岡宏一先生がダライラマとチベットの高僧たちから教わったこと、という内容で、ボランティア講演を行うこととなりました。300名も入る熊本県医師会のホールなので、これでく30人とかしか来ないと、私的には「交通費かけてボランティアで現地入りして仕事がなかった」みたいな状態になるので、夕方からなのでお仕事の後にでも参加いただければ嬉しいです、参加費無料です。

 熊本城は日本の城の中でも人気ナンバーワンですよ! 夏目漱石の旧居もありますよ~。殿様が県知事をやる熊本は実行委員会にも細川忠興といっしょに熊本に来られた方の子孫がいっぱい。くまもんもまってます。

 もう一つイチオシのイベントは、11月4日は出雲の峯寺で行われる恒例の峯寺のチベット・フェスティバル。川辺ゆかさんの歌と、福岡在住のチベット人ゲレックさんが、彼の故郷の遊牧地帯の文化などをおはなしする傍ら、アムド地域での小学校建設運動についての進捗状況などを話してくれます。面白いですよ。
 というわけで、ダライラマ法王不在の11月ですが、とにかく私たちのできる範囲内でチベット仏教がいかに、人々の心の安定に寄与できるかとかを伝えていくことになります。
 以下開催日順にお知らせをはっていきますので、とにかく拡散、お願いできればと思います。
雲南17縮刷
 
●アジャ・リンポチェ出版記念講演会 東京
【日時】11月3日(金) 14:00~16:00
【場所】 大本山護国寺 桂昌殿 地下鉄有楽町線 護国寺駅下車すぐ
【問い合わせ先】TEL:080-5445-7673  tmbccjp2013@gmail.com
【主催】 チベット・モンゴル仏教文化センター


●チベットフェスティバル in 雲南(日本ですよ笑) 2017
【日時】11月4日(土)
【場所】 出雲 峯寺 島根県雲南市三刀屋町給下13 (平岡宏一先生の奥様のご実家です) 
【プログラム】

 第一部: 14:00~15:00 川辺ゆか(歌・ダムニェン)コンサート
 第二部: 15:30~16:30 「チベットを通して考える人間の幸せとは?」
           チベット人のゲレックさんと山男渡部秀樹の対談
  ※ゲレックさんは東北チベット出身で12才でヒマラヤを超えてインドに亡命。現在は福岡在住。故郷の遊牧チベット人ために小学校を作る活動を行っています。

【連絡先】峯寺: 電話番号0854-45-2245 E-mail:k.matsuura@mineji.jp(松浦)


●ダライラマ法王のご長寿祈願特別法要 東京
【日時】11月11日(土) 13:00~15:00
【場所】 大本山護国寺 本堂 地下鉄有楽町線 護国寺駅下車すぐ
【問い合わせ先】TEL:03-5988-3576 
【主催】 ダライ・ラマ法王事務所

●熊本地震復興祈念仏教講演会「21世紀を生きる為の慈悲と利他の教え」
【日時】11月14日(火)
【場所】 熊本県医師会館 2階~3階 大ホール 熊本市花畑町1番13号

18:25  委員長挨拶
18:30  法王法話映像
18:40  第一部 平岡 宏一先生(清風学園専務理事・校長 / 種智院大学客員教授) 講 演
  演題「菩提心の功徳  ~「死に向かって心を整える」ということ ~」
19:30  休 憩
19:40  第二部  石濱裕美子(早稲田大学教育学部教授) 講 演
  演題「ダライ・ラマ法王、半生の軌跡 ~ 一難民から世界の聖者へ ~
20:40  閉会挨拶
※閉会後、希望者のみ質疑応答の時間を設け21時を終了とします。

【参加費】無料
【問い合わせ先・主催】 ダライ・ラマ法王佛教講演会実行委員会事務局
住所 熊本市中央区帯山4丁目5番18号 医療法人祐基会帯山中央病院内
   ☎(096)382-5164 平日 午前9時30分~午後5時
   E-mail hhd-kumamoto@higo.co.jp

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