白雪姫と七人の小坊主達
早稲田大学仏教青年会 ウォッチング日記
DATE: 2008/08/25(月)   CATEGORY: 未分類
戦慄のチベット暦
 実はわたくしこの夏、山のような講座モノの原稿を三つも抱えて苦しんでいる。
 講座ものといえば高度な啓蒙書。

 わたくしが研究対象としていることを中心に書けばラクだし、そうそう間違えないだろうし、また、内容もテーマ軸にそってかくので面白く書けるのだが、そうすると、自分が弱い時代の情報が相対的に減り、そうすると必ず「あれは重要なのにどーして書かないのか」というツッコミが入る。なので地道に調べているのだが、なにぶん時代が古代から現代だから、朝から晩までやっても調べがつかない。書き出すことすらできない。

 苦しい。

 チベット人が味わっている亡国の苦しみに比べれば及ぶべくもないけど。

 この講座ものの一つに例のブーメラン原稿「チベットの暦」がある。

 理系的な思考がまったくできないわたくしに高度な計算を説明できるわけもなく、また、その計算の呈示を多くの読者がのぞんでいるとも思えないので、とりあえず、チベット暦の具体的な読み方を手引きしつつ、その中でチベット暦独特の概念を説明することとする。

 しかし、何もない日をいきなり選んで解説しても面白くない。そこで、歴史的にいって将来に記録に残るような事件のおきた日を解説すれば、何年たっても面白く読めるのではないだろうか。チベット関係で、歴史に残る最近起きた事件とくれば、五月十二日のアバ・チベット・羌族自治州大地震(通称 四川大地震)をおいて他にない。

 しかし、わたしは今年のチベット暦をもっていない。チベット暦は毎年ダラムサラとラサの医学・暦学センターから発行されて、注文すれば簡単に買うことができるが、もう2008年も半ばである。そこで、チベット書店カワチェンに聞いたが、今年の暦は仕入れていないとのこと。

 どこにいけば手にはいるだろうと考えて、広島の龍蔵院を思いついた(いま、龍蔵院は夏安居の施主を募集中です。チベットのお坊さんの修行を支援すると来世がいいよ!)。僧院内ではチベット暦で夏安居などの行事を行うので、チベット暦は必携なのである。そこで、この前六月に広島に行った際、龍蔵院のチベット人のお坊さんに、今年の暦をもってきていただいた。
 
 その場でチベット暦をめくり、大地震のおきた西暦2008年五月十二日にあたる日を確認すると、チベット暦で閏三月の八日。月は半月。曜日と星宿は火と水だから、凶だな。そいえば、この日は旧暦でき四月八日お釈迦様のお生まれになった日だ。何か皮肉だね。

 そして夏休みに入って暦の原稿を書こうともう一度暦をひっぱりだす(ちにみに締め切りはっとくにすぎてまーす)。暦の冒頭にはまずは、仏教界におきたこれまでの事件が並んでいる。次に、一年を通じての天気の長期予報と自然災害の予報が続く。
 
 ここまできて、目をひく記事を発見。

土星(nyi ma’i bu)が一年中獅子宮にいるこの間は、大風、地震などが生じるので・・・とくに三月の一日から閏三月の八日までの期間は、東南の方面で大風と地震が起きる危険がある。」
 
 ここで予報されている閏三月の八日って、アバ・チベット・羌族自治州大地震のおきた日である。暦についての教えが説かれたのは、中央アジアにあったとも言われるシャンバラである。シャンバラから見ると四川は「東南」方面になる。

 ぞぞぞぞ。

 で、この前の土曜日、チベット医学の研究会にいく。チベット医学の基本聖典『四部医典』を読んでいるのだが、メンバーみなが暢気なのでここ数年業績発表は進んでいない(笑)。

  で、この会にチベット暦に詳しいNさんがいて、今回の原稿書きでもずいぶんアドヴァイスを頂戴した。

 Nさん「イシハマさん、ここに『馬の5刻から』とあって、8が→でつっこんでますよね。この8ってラーフ星っていう凶星を表していますから、馬の5刻から悪くなるんですよ。で、調べてみないとわからないんですけど、あの大地震起きたのは午後二時半とかでしたよね、あれ北京時間でしたっけ? 日本時間でしたっけ?」

私「覚えてないな」

Nさん「いやよく調べないと分からないんですけどね、これを北インドの時間に合わせたら、馬の5刻ぐらいになりませんか。それに馬の4刻から月がゲル宿からチュ宿に移動しますが、この時間も丁度同じくらいの時間ですよね。」

 私「月がゲル宿にいる間は、月曜が水界でゲル宿が火界だから、火水で『死』か。」

 一同ぞぞぞとして、沈黙。

 私「でも、土星が獅子座にいたらどうしてこの時期に地震や大風がおきるんだろうね」 
 N「分かりません」

 チベットの暦はカーラチャクラタントラにとかれたシステムに基づいて算出される。カーラチャクラタントラとは、インドで仏教が滅びる間際に成立した、悲鳴のような経典であり、異教徒によって仏教が滅ぼされていく危機感に満ちあふれている。
 
 そして、このタントラに基づくと、ものすごーく遠い未来に、理想の仏教国シャンバラからリクデン王が現れて異教徒を倒してくれて、仏教をこの地上に繁栄させてくれるのだという。
 
 昨今のチベット情勢をみると、はやくリクデン王がでてきてくれないもんかと思うけど、予言された時代はまだまだあと。

 末法の世は続く。
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DATE: 2008/08/20(水)   CATEGORY: 未分類
護国寺でLet's 断食
 ガンディーは何ももっていなかった。身にまとうのはインドの男性の伝統衣装ルンギー一枚。ただ「自由なインド」(Free India)を実現したい、との思いを胸に、日の沈まない国大英帝国と戦い、インドを独立に導いた。

 ガンディーは、宗主国に対して武力ではなく、道徳をもって闘った。

 よく知られたアヒンサー(英語にするとnon violence=非暴力)である。

 「あなたたちはそんなことをしていて恥ずかしくないのですか」。

 それを相手に伝えるための戦法である。具体的にいうと、イギリスがインドを支配するためにもうけた治安維持のための法律、それをあえて破って、怒った官憲にボコボコにされても、一切抵抗しない。これは臆病者ではできない。よほど根性すわってないとできないのである。

 この非暴力運動には二つの効果がある。一つは、丸腰の無抵抗の人間が、自分たちの国ではまったく罪にならないようなことでぼこぼこにされる姿を、世界がみたとき、イギリスの知識人とかヨーロッパの人々が

 「おい、インドは何やってんだ、みっともないな」と思わせるようにするのである。

 あともう一つの効果としては、インド人に自信をつけるという意味がある。

 当時のインド人はイギリスの軍事力や経済力に圧倒されて、支配されることになれてしまっていた。
 そういうインド人に対して非道に対して非道で応えないことによって、自分たちの方が道徳的に優位にたっていることを自覚させ、「あなたたちは、力で負けていても、道徳的には勝っている。」と自信をつける効果があった。

 でもって、ガンディーはアヒンサーを徹底させて、肉食は生き物の命をとることから、野菜食しか食べず、初期は牛乳は飲んでいたものの、搾乳も雌牛を苦しめると、ある時期から牛乳すら飲まなくなった。

 そんなわけでガリガリにやせ衰えていたのに、そのうえ、彼はしょっちゅう断食をした。

 どんな時に断食するかというと、非暴力デモが途中から暴動になっちゃったりとか、彼の運営するアシュラム内に争いがおきたりとか、イスラーム教徒とヒンドゥー教徒の中で主導権争いがおきたりなどした時、そのレベルにまで民衆が達していないのに、運動をはじめてしまった自らを罰するために断食したのである。

 ガンディーは当代のインド人すべてに慕われていたので、ガンディーが断食をはじめるとみな急いで武器をおいて争いをやめた。

 恐怖と圧政のまわりには秩序があるが、自由のまわりには必ず混乱が伴う。ガンディーは自らの命を危険にさらすことによって民衆の混乱を鎮めようとしたのである。

 断食には体を浄化し、より真理に近づくという意味もあった。共同体の汚れを祭祀長である彼が払ったのである。

 でこのガンディーのはじめた非暴力や断食といった政治的手法は、戦後の世の中を席巻して公民権運動やアパルトヘイト廃止運動、そのほかもろもろの政治的な転換期に、理性ある人々によって実行されてきた。

 つまり、非暴力と断食とは、きわめてアジア的かつ精神的な運動なのである。

 暴力をとめる時、アメリカがよくやるように、軍隊を派遣して暴力をふるっている当事者を力で制圧するという対処法がある。これは、たとえていえば外科手術によって肉体から悪いものを取り除くような手法である。

 うまくいくこともあるが、悪くすれば、手術によっておちた体力がもどらず死んでしまうこともある。アメリカ軍はイラクにもベトナムにも派兵したが、いずれも別の暴力の連鎖を生んでいるだけで、決定的な安定は生み出せていないのとか、いい例。

 一方、非暴力・断食などのアジア的な運動は内省的である。暴力をふるっているものに対してだけでなく、ふるわれているもの、また、第三者の観察者その三方の精神的な成熟を促すためにやる運動なのである。

 非暴力をたとえていえば、病を体質改善によってなおす東洋医学的な手法といえよう。即効性は期待できないし、最悪の場合、ひょっとすると病気が勝って肉体は救えないかもしれない。けれど、精神は、魂は改善される。

 で、前置きが長くなったけど、八月三十日、すべての命あるものの幸せと平和共存を祈って、この前の「世界中のキャンドルナイト」についで「世界中で断食デー」となります。
 日本のパブリック断食は、護国寺様で行われます。朝7時から夕方7時まで、みんなで断食。(ここクリック)。


 自宅でもできます(笑)。ふだんメタボ気味の方は、健康にもよくて、倫理性もあがって一石二鳥。

 あ、ポレポレ坐の会期中にはたぶんまにあわないモゥモチェンガのDVDが、この席では販売できるかも、という情報もあります。

 デリーではチベット人が水も飲まない断食やってて、死にかけるとインドの警察に強制入院させられて現在で三グループめ。

 このハンストのニュースをネットでみていたら、現場写真の中に民主党の国会議員、松原仁そっくりのチベット人がいた。で、よくみたら、ホンモノの松原仁だった。

 「仏陀の戦士たち」の戦場視察とは、けっこうイカしたことやりますね。

 次の選挙ではあなたに一票投じます。

 ちなみに、松原仁の対抗馬は何の因果か石原慎太郎の四男ひろたかクンです(笑)。
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DATE: 2008/08/14(木)   CATEGORY: 未分類
「満月ばあさん」の幸せ
日曜日、ポレポレ坐(ここクリック)に「モモチェンガ」というドキュメンタリー映画を見に行く。

 モモチェンガとは、ネパールのチベット難民キャンプに暮らす、一人のおばあさんの愛称。モモはおばあさん、チェンガは十五夜、つまり満月の日に生まれたことを意味するので、いわば「満月ばあちゃん」。普通のチベットのおばーちゃんの何げな日常なのだが、これが深い。

 モモチェンガは1959年の中国侵攻時、幼い子供三人をつれて西チベットからインドに亡命して、今は娘夫婦とともにネパールの難民キャンプで生活している。このキャンプには真ん中に僧院があり、チベット学校もあり、チベット人たちはかろうじて自分たちの文化を護って暮らしている。

 借り物の土地の上にすむ、難民たちは生活の手段がない。そこで、外国人観光客にチベットのおみやげを売るのだが、昨今のネパール情勢の不安定からもちろん売れない。貧しい暮らしだが、このおばあちゃん満足して暮らしている。毎日、マニ車をまわして僧院の回りをコルラして、痛む膝をかばいながら、五体投地を百回している。ヒマさえあれば、すべての生き物の幸せを祈っている。孫がたった十一才で死んで、他の孫たちが悲しんでいると、「私のような年寄りにお迎えがこず、こんな小さい子にお迎えがくる。これも前世の業だね。子供は汚れがないから、すぐにいい転生をするよ」と、たんたんと現実を受け入れる。
 
 そして、このおばあちゃん、ネパールからインドのダラムサラにダライラマ法王にお会いする旅にでる。一日中、お寺参りをして五体投地をしていたおばあちゃんは、24時間の列車の旅の間体動かせないのに、無意識のうちに手だけで礼拝していた。すごいな。

 で、いよいよモモチェンガがダライラマ法王と対面します。

 モモチェンガ「チベットはいつ自由になるのですか。孫の世代もこのままかと思うとやりきれません」

 どっひゃー。直球。

 ダライラマ法王「みな同じ気持ちですよ。みんな努力していますよ。」
 
 さすがダライラマ。ちなみに、おばあちゃんの前に、病気の子どもをつれてきた男性がいた。この男性はたぶんダライラマ法王の奇跡の力で、子供の病気を治してもらおうと思ってきたのであろう。が、

 ダライラマ法王「薬は飲んでますか。チベットの薬をのみなさい。イェーシェー医師につくといい。あ、チベットの薬とインドの薬を一緒に飲むときは、二時間あけた方がいいですよ。」

 指示が細かい(笑)!

 そういえばダライラマ法王はかつて

「わたしに会いに世界中から病人がやってきますが、わたしは病気を治したりする奇跡はおこせません。みな病院いってください。」といっていた。それを初めてリアルで見た。

 何年か前ダライラマ猊下が国技館で講演した時、「円盤が見える」人が宇宙人についてダライラマについて質問した時、私は「猊下に何きいとんじゃ、ゴルァ」と殺気だったが、猊下はあっはっはと笑って

「わかりませんねー(I don't Know)」と応えられた。

 ダライラマ法王は神秘めかしたり、偉そうにしたりして、自分を大きくみせようとしない。分からないことは分からないと率直に言い、ひたすら「事実に基づく真実」のみを語ってきた。その言葉にひきつけられる人は時をおって増えている。
 
 日本人は、宗教=狂信、非論理的、知性低い、と考えがちだが、チベット仏教では「正しいものは、論理によっても証明できる」と考え、仏の境地を論理学によって考察することにやぶさかではない。だから、ダライラマ法王にしても、このモモチェンガにしても、チベット人は信心深く宗教的ではあるけれど、知性もユーモアもあり、その度合いはむしろ、われわれよりも上なのだ。

 先進国のわれわれはいつも不幸。物質的に豊かなのに、足りないものばかりあげつらい、不平不満に満ちあふれている。宗教に接するときにも、その接し方がわからず、救済してもらおうと全面的に依存してだまされたり、逆に、軽蔑して遠ざけたりと、それはもう極端。

チベット人は

賢者たちが焼いたり、切ったり、こすったりすることによって金を調べるように、私(仏)の言葉を採用するべきであって、ただ〔私を〕尊敬するがゆえに採用するべきではない。」

という仏の教えに従って、たとえ仏の教えであろうも、金の真贋を確かめるように徹底的に吟味する。一方、日本人は真贋どころか、善悪すら見分けられないレベルである。

 よく、「亡命政府の言うことと、中国政府の言うことどちらが正しいか分からない」といい、自分は中立だといいたげな学者や民間人やジャーナリスト(全員やん)がいるが、そういう人たちにこう言いたい。

 「論理的に考えてみて」
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DATE: 2008/08/09(土)   CATEGORY: 未分類
闇を照らす光
米欧などで中国の人権状況に抗議デモ 北京五輪開幕前に (2008年8月8日朝日夕刊)

 北京五輪開幕を前に、中国の人権状況に抗議するデモが世界各地で起きている。ネパールでは8日、中国大使館領事部の前で抗議中のチベット人400人が拘束された。
 AFP通信などによると、米国ニューヨークのユニオンスクエアでは7日、チベットを支持するグループが、ろうそくを「北京ジェノサイド(集団殺害)」という字に並べ、チベット民謡を歌うなどして抗議。カナダのオタワでは約300人が、中国大使館の前で人権侵害を非難した。
 10万人以上の亡命チベット人が住むインドでは、約千人のチベット人がニューデリーで、チベットの旗を掲げながら「中国五輪にノーと言おう」と叫んで行進した。
 スペインのバルセロナやリトアニアのビリニュス、オランダのハーグ、アルゼンチンのブエノスアイレスなどでも7日、チベットでの人権向上や宗教の自由を求め、多くの人がろうそくをともした


 というわけで、日本ではまだ明るい8/7の午後六時、手製のキャンドルをともして上記のグローバルイベントにささやかに参加。

 イシハマ手製のキャンドル。

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あけて、八月八日九時。

 世界中の指導者が、仏(仏様でなくフランス)の大統領なんて、自国民から蔑まれながら↓某国の首都で開かれる運動大会の開会式に参加。

仏大統領、国内で非難高まる ダライ・ラマ会談見送りに(2008年8月8日朝日夕刊)

 【パリ=国末憲人】北京五輪開会式出席のため8日に訪中したフランスのサルコジ大統領が、仏国内で激しい非難にさらされている。予定していたチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世との会談を見送ったため「中国に屈服して人権問題を棚上げした」とみなされたためだ。

 ダライ・ラマ14世は8月中旬の訪仏を予定。7月、大統領は会談の意向を示し、反発する中国に対して「私の会談予定を決めるのは中国ではない」と反論した。しかし、仏大統領府は一転して今月6日、会談がないと発表した。

 これに対し、ルモンド紙は「カノッサのサルコジ」と題する社説を掲載。サルコジ氏の訪中を、1077年に神聖ローマ帝国の皇帝ハインリヒ4世がローマ法王グレゴリウス7世の許しを請うためイタリア・カノッサを訪れた「カノッサの屈辱」になぞらえた。「(中国の)人権問題への対応についても、仏の対外イメージを築く面でも、対中関係の構築に関しても、すべて失敗した」と大統領を酷評。「中国には今後足元を見られるだろう。カノッサに行く前に大口をたたかなければよかったのだ」と述べた。

 野党社会党のビアンコ国民議会議員も「何ら得る物なくサルコジは北京に行く」と批判。コーンベンディット欧州議会議員は「中国が調子に乗って恐喝するのを許すようなものだ」と述べた。


 日本のキャンドルナイトはこの開会時間にあわせて、スタート。

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わたしは護国寺のキャンドルナイトへ。要約すると

燃え上がーれー、
燃え上がーれー、
燃え上がーれー
 キャンドル
ヤカンー、走れ。
まだ怒りに燃える闘志があるなら巨大な敵を
撃てよ 撃てよ 撃てよ
正義の怒りをぶつけろ、キャーンドール
愛の戦士、キャンードルー、キャンドル

(「機動戦士ガンダム」の節で)

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 まじめにレポートすると、毎日行われているチベット人追悼法要の時間は、今日はみなであんどん作り。

 ふせた紙コップに穴をあけてローソクをたて、そのまわりを風よけの色紙で囲むというもの。みなで手分けして部品をつくり、くみ上げ、護国寺の石段に並べていく。

 並べ終わったのは、開会式の丁度九時ぴったり。

 みなであんどんキャンドルの両側の石段に座り、チベット語で仏法僧への帰依を唱える。
 続いて、オンマニペメフンの連祷。

 真言を唱えながら、すべての命あるものの幸せを祈り、この果てしない闇がいつか光に照らされることを願う。

 このあたりで、あちこちで手製あんどんが炎上し始める

 ローソクが風にゆらいだり、コップの上でうまく安定しなかったりして、まわりの風よけの色紙にもえうつって炎上するのだ。

 火の手があがるたびに、やかんをもった男性がかけよって消す。やかんもって階段をあがったりおりたりして炎上するあんどんを鎮火していく姿はネタのよう。

 チベット人が「真実の祷り」を唱え始めた。この詩はダライラマ14世が亡命直後の1960年、血を吐くような思いでつくった詩である(* 原文と発音と対訳のPDFをこちらにアップしました)。

 何度よんでも心打たれる。

海のように果てしない徳をそなえて
すべての非力な生き物を、たった一人の我が子のように愛される
過去・現在・未来に出現される方(仏)よ、その子(菩薩)よ。その弟子たちよ。
どうかこの私の真実の叫びを聞いてください。

この世の苦しみを取り除く、完璧な仏の教えは
全世界の幸福をになっている。
この教えを奉じている学者や行者たちの
十種類の法行(正しい仏教の修行)が栄えて行きますように。

恐ろしい乱暴な悪行の徒に迫害されて
絶え間なく苦しんでいる非力な生き物たち
かれらの堪え難い、病と戦争と飢えの恐怖が
鎮まって、平和の海の中で安らげますように。

とりわけ、敬虔な雪国(チベット)の人々が、
仏教を信じない異教徒の群によって無慈悲に
荒々しく滅ぼされて、流した血と涙の河が
すぐにとまるように、慈悲の力を生じてください。

煩悩という魔物に惑わされた残虐な行為により
自分も他人も滅ぼすものは哀れむべきものたち。
この乱暴な人々の群がなすべきこと・なさざるべきことを判別できる目を
得て、愛をもってわたしたちの友となるように。

長く心に暖めてきた願いが
かない、チベットの完全独立が
自ずとかない、仏教にもとづく政治が栄えるような
そのような良き時代をすぐに与えてください。

仏の教えとその教えを守っている政府や民のために
自分の可愛い身体や財産をなげうって
千の困難を味わっている人々を
ポタラにいる方よ(観音様よ)、お守り下さい。

まとめると、頼るべき方観音様は、
仏と菩薩の眼前で「このチベットの地を
護ろう」と広大な祈願をたてられた。
その祈願の結果がすぐに現実のものとなりますように。

この世界と空性(一切ものに実体がない)の本質である深遠なる縁起と
最高の三つの宝(仏とその教えとその教えを奉じる僧侶)の力と真実の言葉の力と
良い行為には良い結果が、悪い行為に悪い結果が必ずでるという真実の力によって、我々の
この真実の祈りが障りなく現実のものとなりますように。

ええわあ。

炎上あんどんの数はどんどんふえて、天をこがしている(おいおい)。
あんどの火一つ一つがチベット人の心のように、炎上する炎はチベット人の叫びのように見えてくる。

どうかこの祈りが天に届きますように。

 ポゥゲルロー(チベットは勝つ!)
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DATE: 2008/08/03(日)   CATEGORY: 未分類
洋風万灯会へのお誘い
北京政府はなぜオリンピックの開会式を八月八日の猛暑に設定したのだろう?

それは2008年8月8日つまり、8888と末広がりで縁起の良い八の数字が四つ並ぶ日だからである。

 だから、この日は動かせない。中国共産党の永遠を祈念する日として、北京政府はこのこの8888(スーバ)開催は死守せにゃならんのである。そいえば韓国で1988年にソウル五輪やった時も、88(パルパル)が一世を風靡していたけど、やっぱ韓国の人にとっても8は特別だったのかな。

 でもね、ちょっと言わせてもらうとね、西暦で8888といったって、旧暦では七月八日だし、チベット暦にいたっては六月七日なんだよね。

 八が末広がり=めでたいってカンカクは伝統に由来する価値観なんだから、西暦で八がならんでも意味ないんじゃない? 

 そもそも古いものをみな否定してきた共産党が、封建時代の迷信を信じているなんてのもヘン。

 昔ワールドカップの決勝が日本で行われた日と同日に、ブータンでビリ決定戦が行われた。

 このビリ決定戦はアザー・ファイナルとしてドキュメント映画にとられ、結構ヒットした(詳しくはここクリック!)。

 このイベントに対してはAdiddas とNikeが寄附に応じてくれなかったため、それはそれはささやかな開催であった。

 しかし、当日司会の

本日ワールドカップの決勝戦が行われる日本のスタジアムは、・・平方メートルの巨大な競技場で可動式の屋根がつき、芝生の下には自動給水が行われ、会場には528のスピーカーが設置されています。我々のスタジアムは露天で、たった一個のスピーカーしかありません。しかし、同じものもあります。二つのゴールです!

 このイベントにはたしかにサッカーの神が降臨していた。

 ボール一つあればできるサッカーは貧者でもできる。だからサッカーはある意味、世界中もっとも広く親しまれ、楽しまれているスポーツであろう。

 このブータンで行われたビリ決勝戦には、日本の決勝戦においてよりも、より純粋な形でこのようなサッカー精神が現れていたことは疑いない。

 今年、オリンピックは予定通り開催され、人々はその期間は熱狂するだろう。 人はお祭りが好き。古より為政者は庶民に不満がたまると、コロシアムで拳闘士の殺し合いをみせたりして、ガス抜きをした。しかし、こんなことしても客観的には問題はまったく解決していないことは言うまでもない。


 そもそもオリンピック精神とは戦争をやめて平和を実現することである。だから、競い合いは国対抗ではなく、選手対抗ということになっており、メダルの獲得数を国ごとに表にするようなことも禁止されている。

 しかし、今回のオリンピックは、中国共産党の国威発揚に利用され、その時点でもうオリンピック精神はボロボロ。

 というわけで、 どこぞの国の国威発揚に利用されているオリンピックはおいとくとして、8月8日は開会式にあわせて、全世界で自宅や職場でキャンドルをともそうという運動があります。

 題して「チベットのための平和の祈り」(candle4Tibet←ここクリックしてね)

 無くなられた方の鎮魂、また、一人一人の良心が、この闇をいつか晴らしていくことを世界中で祈願して自宅で職場で火をともすというグローバルイベント。

 このイベントはダライラマ法王ご公認です。 しかし欧米発なので英語のサイトにアクセスしないと正式に参加できない。そこで、やさしい方が日本語ページから英語ページにとんで、このイベントへ登録する法を日本語で解説してくれました!

とりあえずの登録のやり方(ここクリック)


 インターネットエクスプローラーのあるバージョンではうまくいかなかった。私は結局アメリカから送られてきたメールからこのサイトにはいって登録しました。とほほ。

 このキャンドルナイトの方が余程、オリンピック精神を体現している。何事も形よりも、中身。形にこだわる人にろくなヤツはおらん。中身にこだわる本格志向の方、御盆もちかいし、あなたもわたしも洋風万灯会へ参加しよう!

 8月8日、サイトに登録できた人も、できなかった人も(笑)、キャンドルをともしましょう。

 火事に気をつけて(笑)。
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DATE: 2008/07/29(火)   CATEGORY: 未分類
ガワン先生、出雲に行く。
 二十八日、ロサン・ガワン先生が出雲の峯寺で灌頂を行われるというので、出雲へ飛ぶ(Co2ゴメン)。
 空港にお迎えにきてくださったのは、ガワン先生の日本人弟子のAさん。

私「出雲大社をネットで調べたら、出雲大社教ってでてきたんですけど、出雲の神様はやっぱりアマテラス系神社本庁に属すのがいやで別団体つくってるんですかね」
Aさん「さあそれは知りませんが、出雲の宮司さんは千家っていって、大国主命の子孫(あとでご指摘をうけたけど、千家はアメノホヒの子孫。アメノホヒはアマテラスの子供で出雲につかわされたんだけど、大国主に心酔してつかえた神)がつとめてますよ」

私「ええええ、大国主の子孫(だからアメノホヒの子孫。しかしその時の会話を忠実に再現するためママのにしときます)がまだ続いているんですか! 天皇家より古い家系じゃないですか」
Aさん「ええ、何かすごい系図をもってますよ。で、天皇家に政治はまかせて、出雲で神様をまつってらっしゃるんです。十一月には日本の神様がみな出雲に集まっていなくなるからる神無月っていいますが、出雲ではこの月は神有月っていって、神様をお迎えする神事をやります。嫁さんの知り合いに聞いたんですが、その神事の際、海に竜巻がたって何かが上陸してくる気配が本当にしたそうですよ」

 さすが、神話の里、出雲。神話が現役。古代の開国神話がそのままダライラマ14世に体現されているチベットと激似。

私「出雲サイコー! 私は根っからマイノリティ好きなんですよ!だってマジョリティって、ただ数の力でそこにあるだけだから、、結構いいかげんだったり不純だったりするけど、マイノリティでも残っているものは、絶対残ってきた理由、何等かの意義みたいなものがあるんですよね」

 峯寺につく。峯寺は役行者が開いたという奈良時代からの古刹である。役行者のお父上はこのあたりの出なので、「みなし」ではなく、マジで役行者様ゆかりの寺である。真言宗御室派で松江藩主の祈願所としても栄え、大峰修験の開山式の鍵を預かる修験の寺でもある。

 峯寺は弥山の中腹にたつが、この山は出雲風土記にでてくる伊我山で、このあたりの地名の三刀屋(御門屋)とは大国主の屋敷の所在地であったことを示している。

 濃い神話の里、出雲。そこに、またまた濃いチベットの高僧ガワン先生がお出ましになる。聴衆は信仰深い善男善女ばかり。いい空間になることは必定。

 まず、峯寺のご住職により、今回の蜂起で亡くなられたチベット人の方々の追悼法要が営まれる。

 そして、五時から九時までダーキニーの灌頂が行われた。鳥の声と蝉時雨の喧噪は日没とともに静まり、やがて、あたりは真っ暗となった。本堂はまるで宇宙空間に浮かんでいるよう。ときたま、チョウやアブが入り込んでくる以外、静かな山の寺の法要である。先生はダーキニー尊(仏の智慧を象徴)を自らの中に生起して、その力を我々に授けてくださる。ダーキニー尊のイメージを鮮明に描ければ描けるほど、祝福を授かるとされている。

 灌頂が終わると、借りていた土地をその土地の神様にお返しする。そして法要で用いた供物を様々な妖魔に下げ渡して、灌頂を邪魔しなかった褒美とする。

 灌頂の夜、ガワン先生の闘病生活を支えてきたAさんからお話を伺う。ガワン先生は密教者なのでなかなか神秘的なエピソードが多く味わい深い。

 先生は1959年にダライラマが亡命された年、ガンデン大僧院(ゲルク派の大本山)チャンツェ学堂の僧で23才、ダライラマ法王とほぼ同世代であった。中国軍の侵攻を受けて、チベット暦二月十四日に逃亡生活に入り、中国軍を避けながら道に迷いつつ、インドに向かった。

 しかし、中国軍が道を封鎖しているので、森の中に隠れていた。そんなある日ガワン先生の夢に、船にのった渡し守が現れて、「わたしはもう来ないぞ、これが最後の便だ」と言われた。その夢を師匠に話すと、師匠はその夢はたぶん「今は中国軍が道にいないということだ、これが最後のチャンスかも」と森からでて道にでると中国軍がいなかったという。

 それから彼らは雪の中をさまよった。一歩踏み間違うと谷底におちてしまうような白い地獄の中で、師匠はオオカミの足跡をみつけて、その足跡をたどって道に出たという。また、もうブータンのタワン地区にあともう一歩、というところまできた時、やはり道に迷っていると、ヤクをつれた女の人が現れて、師匠はその女の人に声をかけたけど、まったく振り返らずにどんどん歩いていくので、そのあとをついていくと、道まで出たところで忽然と消えてしまったという。ブータンに逃げこんだ時、逃亡生活に入って七ヶ月経っていたという。
 
 私「その女の人、ラモ(護法女尊の名)の化身でしょ」
 一同笑。
 Aさん「ですよね。ガワン先生そのころ若かったからお腹がすいてね、こんなにつらいんだったら中国軍に投降しようとおもったこともあったんですって。そしたら師匠が般若経の予言に『仏教はまず、南に伝わり、次に北から北に伝わり、最後にインドを通って世界にひろがる』という予言がある。お前は若いんだから未来がある。インドへ行け、と行われたんでインドに逃げたそうです」

 それから、ここ二年のガワン先生の闘病生活の不思議について聞く。じつはガワン先生はお医者さんの見立てによると、去年の後半くらいには亡くなっているはずであった。しかし、彼から法を聞きたいというAさんの執念とAさんにグヒヤサマージャの注釈を完全に伝えなければならないという先生の仏教者としての使命感とが様々な奇跡をうんで2008年の7月現在も先生はこうして日本の人々に仏教を、中観帰謬論証派の空理解とかを説いておられるのだ。

 すごいな。

 Aさん「でね、生徒さんの親御さんからビタミンCの点滴療法をすすめられてね、でもね、それがすごい高いので迷っていたらね、突然シンガポールのガワン先生のお弟子さんが来られましてね、お布施してくださったんです」
 私「そのシンガポール人、毘沙門天の化身でしょう」
 一同笑。

 Aさん「でね、去年の法王のお誕生日の時、ホテルオークラの喫茶室にいたら、Bさんから電話がかかって、今アーケードにいるからこれないか、っていうので、アーケードにいったんですけど、Bさんこないんですわ。で、会が始まるまで一時間半、ここでたっているのもなあ、と思ってベンチを探して座ったらそこにいたのが、それからお世話になったk医師ですわ。」

 あとで、bさんになんでアーケードこなかったんですか、と聞いたら、あのときBさんは喫茶室におり、何でかしらないか、アーケードにいると嘘をついてしまったんだという。一緒にいたおねえさんがそう証言したのだから、確かだという。しかし、そのニセ情報の結果、AさんはK医師と知り合うことができた。

 私「Bさん、きっとガワン先生の護法尊にのっとられてたんだよ」 一同笑。
 Aさん「夜中に緊急入院したこともあったんですけど、その日たまたま主治医が当直に入っていて助かったとか、そんなことばかりですわ。何かに助けられているような。」

 で、その晩、峯寺の番犬、ポチは狂ったように吠えまくった。

 Aさん「昨日の晩、ポチが吠えてたでしょう? 朝みたらお供物なくなってるんですよ。灌頂のお供物を妖魔が取りに来たのかと思って怖かったです。」

 私「タヌキか、キツネか、ハクビシンで決まり。」
 Aさんの奥さん「お皿までなくなっているから人が捨てにいったんですよ」
 副住職「ああ、ポチはね毎晩、午前一時から二時までぴったり一時間なくんですよ」
 一同爆笑。

 その朝、ガワン先生を囲んで峯寺ファミリーとともに朝食を戴く。すると突然の雷鳴ともに驟雨がふり、山の寺は雲の中に入った。ガワン先生は雷鳴は吉兆だという。わたしも縁側でこの雨をみて気持ちのいい通り雨だと思った。

 嵐の神スサノオ(大国主の父)がチベットの高僧の光臨を喜ばれている(のか?)。
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DATE: 2008/07/22(火)   CATEGORY: 未分類
時を超えるゼミ長
19日

 今年四月に卒業した四年生が集まるので、先生も来てというので行く。神のゼミ長Aジ君の世代とはいえ、卒業してまだ三ヶ月、なつかしくなるような時期でもないし、そもそもAジくん卒業してかからも何度もゼミに顔だしているので、彼が卒業したような実感もわかないし、気分は現役の飲み会にいくようなノリ。

 この話をダンナにしたら、「あなたが頼りないから、Aジくんがゼミの品質保持のために見張りにきてるんだよ」と言われた・・・。まさかあ。

そのまさかが、本当だった

 待ち合わせの学部前ロータリーにいくと、なぜか三年ゼミ生、四年ゼミ生、Aジ君いがいの世代のOBゼミ生もあつまっている。

 聞けば今日はワタシの昇任祝いのサプライズパーティだという・・・。

  国立と違い、私立の昇任はそんな大したもんでない(給料も完璧な年功序列)。そもそもワタシは昇任なんてどーでもよかったので、いまだに昇任前の名刺配っているくらいである。

 Aジくん「先生、本当のこといったら絶対来ないでしょ」

 ワタシ「まあ、そうかも。で世代を超えたゼミ生にどーやって連絡つけたの?」

 Aジくん「各世代に留年組がいますよね、その人たちがまとめ役になって連絡つけました。卒業後二年くらいまでをメドに連絡をつけました」

 なんとAジくんは卒業した後もゼミ長であった・・・。ユーミンの時をかける少女のテーマにのって「時を超えるゼミ長」という言葉がひらめく。

 Aジくんは集まった全員を大学近くのカフェにむりやり押し込む。

 乾杯の音頭はもちろんフリー・チベット!この春から農家に入って農業修行中のT君から「オレが種から育てたもんです」とキュウリとズッキーニとキャベツを戴く。全員からはブルーを基調とした花カゴを頂戴する。

 それを手にして記念撮影をするが、野菜と花のとりあわせだと、どこかの県知事が県の農作物をPRしているよう。

 わたしは世にいう理想的な教師とはほど遠い。テンション低いし、学生に対する姿勢は基本放牧だし、「まあ、みんな大人だからいずれ自分で分かるでしょ」をモットーによほどのことがない限り説教もしない(そう、そこの説教されたアナタ、アナタは余程なのよ)。

 なのに、これだけ多くの人が集まってくれるのは、やはりワタシの人徳、のはずもなく、Aジくんの人徳だよ・・・・(笑)。

 そういうわけで、ワタシが退散したあとも、OB現役ともにオールでもりあがったのであったった。

 20日

 テレビつけたら、たまたまNHKの探検ロマン世界遺産で「頤和園」をやっていた(12日の再放送らしい)。どーせ、北京オリンピックにあわせた翼賛企画だろーが、とヤサグレた気持ちでひっくり返ってテレビをみはじめたが、やがて正座になった。

 うろ覚えだが、以下のような内容。

 頤和園は乾隆帝によって築かれた御苑で、乾隆帝は熱心なチベット仏教徒であった。チベットの高僧と同じ高さの席について、チベット語で話した。頤和園の中にある四大部州はチベットの寺の模倣である(さすがにサムエ寺のコピーと固有名詞まではわかんなかったよう)。扁額は満洲・モンゴル・チベット・漢字で記されており、その四つの字体が同じ大きさであるように乾隆帝はすべての民族の文化を尊重していた、ときて、三月のチベット蜂起の映像をだして、今の中国政府がチベット文化を抑圧しているがゆえに、こんな問題がおきている、と示し、最後に中国は今年オリンピックを開催して自信を深めようとしています。その中国の未来にどうすべきかは、過去の歴史が示しているでしょう、と暗に「中国政府、乾隆帝のように民族の文化を尊重せい」といって結んでいた。

 これちょっと昔だったら、中国のいいなりの翼賛観光地宣伝になつて「この広大な庭園は昔は皇帝一人のものだったが、今は人民の楽しむ公園である」(BY 若き日の李纓監督)とかから始まって、あとは日本の文化人との関係(北京秋天とか)とかを紹介しておわるチンプな構成だったはずだ(最初の方みてないからやってたかもしれないけど)。

 なのに、あのNHKが日本ネタもつかわないどころか、中国政府に意見する番組をつくっている! 

 ものすごいパラダイムの転換! 

 三月のチベット蜂起を以後、『チベットを知るための50章』とかよんで勉強してくれたんだね。

 正直、岩波と朝日新聞とnhkは何があってもあのままだろうなと諦めていたが、ひょっとしたら少しは変化を期待できるかも。

 YES YOU CAN CHANGE!(by オバマ)

 21日

 明治大学でJVJAの報告会。二時から五時の長丁場である。

フリージャーナリストの野田雅也さんはチベット解禁のあと成都から東チベットにはいって帰ってきたばかり。ラサは体面上外国人に開放したけど、東チベットの各道路はまだ土嚢の上に機銃をおいた検問所でいたるところ封鎖されていて、とても写真がとれる状態ではなかったとのこと。道行く人々が隠しカメラに顔をとられるのがイヤなのかマスクをして歩いているのが印象的だった。あと四川大地震の被害はやはりチベット側は限定的だったようである。チベット人からいろいろ聞き取りをしてきたようで、その内容は陰惨でしかし伝聞で証拠がないため公式に発表できないのが辛いという。

 写真家の野町さんは毛沢東の長征ルートをたどって写真をとっているうちにチベットに魅せられたこと、そして、解放軍の破壊を西チベットのツァパランの破壊された仏像を中国軍が来る前と後の写真と並べて示したりした。大家だけあって、どの写真もチベットの魅力をうまくきりとって美しく伝えていた。

 石濱は、観音菩薩の慈悲によってチベットの歴史がはじまり、それがダライラマ14世にまで続いているとの歴史話。

 作家の渡辺一枝さんはチベット人の農民とのおつきあいから知ったことをいろいろ話す。中国人資本がはいってきたため、チベット人が交易をやめ、現金収入を得ようとして、中国人の好きなスイカをつくりだしたこと、遊牧民が90万円もらえるとの甘言につられて集合住宅にうつって定住したら、その90万円は貸し付けで、その土地では仕事もなく、無気力に暮らしながら先住のチベット人と陰惨な争いをしているなどを報告。目先のお金につられ、働かないチベット人にも問題があると指摘。

 以上。
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DATE: 2008/07/18(金)   CATEGORY: 未分類
七月のチベット・イベント
 祝日の月曜日、神保町でお話します。以下詳細。

2008/07/21 JVJAチベット報告会(明大・神田)


期日 2008年7月21日(月祝)
場所 明治大学リバティータワー3F 1032教室(定員280人)
時間 開場 13:30 開演 14:00〜17:00
資料代 1,000円
お問い合せ JVJA事務局 090-6101-6113 office@jvja.net
会場までのアクセス

・プログラム内容:(順番未定)
野田雅也(フォトジャーナリスト)
野町和嘉(写真家)
石濱裕美子(早稲田大学教授)
渡辺一枝(作家)

※先着順に受付(予約は必要ありません。定員 280 名)
定員を超えた場合は会場収容人員の都合により、ご入場を制限
いたします。あらかじめご了承ください。



 というわけで、月曜日お暇な方は神保町へ。野田雅也さんは、解禁と同時にチベット入りして公安とたたかいながら、現地の動静を取材して、ジャスト帰ったばかり。
 野町さんはご存じスーパー高名な写真家。
 石濱裕美子は、例によってチベットの過去の栄光をやります。会場には、著者割りで著書をおいときますね。『聖ツォンカパ伝』はけっこうお高いので、この機会にどうぞ。

ブッダ・ピース・ウォーク・トゥ・善光寺


主宰 Buddha Road PeaceWalk to ZENKOJI事務局 チベットの風
●7月25日〜8月7日
「ヒマラヤを越える子供たち」描画パネル展〈無料〉
  会場:平安堂長野駅前店 まだ小さな子にヒマラヤを越えさせねばならないチベットの現実。
●7月25日〜26日
「写真展・チベットへの旅〜青年僧一人旅聞き書き〜」〈無料〉
  会場:表参道荻原朝陽館ギャラリー  
  写真:飯島俊哲 文:岡澤慶澄
●7月25日、26日、27日
「50人のチベット展in 善光寺」〈無料〉
  ☆開催時間要確認
  会場:善光寺大本願寿光殿(東京泉の森会館で開催され話題の展覧会を長野で開催)
●7月25日26日27日
「渡辺一枝チベット写真展」〈無料〉
  ☆開催時間要確認
  会場:善光寺大本願明照殿(20年来、チベット文化圏の写真を撮 り続けている渡辺一枝さん写真展)
●7月26日午前5時30分 善光寺本堂ご案内 「お数珠頂戴」「お朝事(法要)」「お戒壇巡り」内陣参拝券500円
  会場:善光寺本堂 早朝の静寂と澄んだ空気のなかの荘厳な読経。善光寺如来の存在を感じながらの祈り。
●7月26日午前9時「善光寺縁起絵解き」志納300円 解説:善光寺大勧進事務局
  会場:善光寺大勧進 自らの意思で三国を渡り長野にいらした善光寺如来さまの縁起物語り。
●7月26日午前11時「中世、戦乱の世と仏教」〈無料〉解説:袖山榮輝
  会場:善光寺表参十念寺 
  戦乱の善光寺平で、敵味方区別なく戦死者を弔った僧侶たちの物語り。
●7月26日午後3時
「ダライ・ラマ〜他者と生きる〜 」
  下記詳細参照
◎7月 26日(土)
『ダライ・ラマ〜他者と生きる〜』
  田崎國彦先生をお招し『チベット問題を学ぶ』勉強会
◆会場 長野市 西方寺

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DATE: 2008/07/14(月)   CATEGORY: 未分類
ゼミ旅行で善光寺へ
七月十一日

 今年の夏のゼミ旅行はもちろん長野。長野は夏は涼しいし、世界中に令名を轟かせたかの国宝善光寺様に是非いかねば。

tanada.jpg
 宿は長野よりちょっと南の屋代の由緒ある武水別神社のま横。宿からほど近い里山は、世阿弥や芭蕉も題材にした、名勝姥捨て山である。お昼ご飯のあと、この神社の鳥居を背にひたすら山を登る。じつはこの姥捨て山、棚田の保存地域としても有名で、この棚田をみおろす姨捨の駅からの風景は日本の三大車窓に数えられている。学生は地理の授業で棚田を勉強しているので、国文+民俗学+地理の勉強になる。

 しかし、例によって暑い。梅雨も明けていないのに棚田には入道雲がかかっている。

 全員脱水症状になって棚田の頂上につくが、そこには千曲市の管理棟があるばかりで、水分はない。そこで、水分を求めて芭蕉が「おもかげや姨ひとりなく月の友」を詠んだ天台宗長楽寺に向かう。この寺の境内には芭蕉の後を慕う数々の文人の句碑であふれかえっている。

 この寺の裏手にある姨捨会館(閉店)の前に自販機発見。渇えた我々は全員でこの自販機を襲い、水分を買いまくる。じつはこの自販機北京オリンピックの公式スポンサーコカ・コーラ社だったので本当は使いたくなかったが、この状況下ではいた仕方ない。エコを考えた場合、やはりハイキングに出る前には水筒を準備すべきであった。

 「暑い」→「自販機(orコンビニ)を探す」という、この腐った精神構造自体が、地球温暖化を促進するのだ。

 と自己批判しつつ山を降る。途中、阿弥陀仏の48請願にかけた48枚田があり、そこに田所観音という棚田の中にうもれる絵になる観音様を見つける。

 山をおりてくると武水別神社の大鳥居がまっすぐ前に見える。これおそらく、民俗学的にいうと、里山(姥捨て山)にいる祖先の霊が春になって田の神になって戻ってくるのを受け入れたり、送り出したりするたるの鳥居だ。社伝をみると、やはりこの神社はかつては五穀豊穣を祈り、千曲川の水をまつったりしていたという。

 死の世界から生の世界への帰還である。宿に帰って、温泉入って夜ご飯に食堂にいって驚く。私の席だけがお誕生席で、学生が両側にならぶという、アフリカの独裁国家の食卓のような席並びになってる。私はその晩、たまたま迷彩柄のTシャツを着ていたので、シャレにならん。
kono.jpg

 食事がおわるとおきまりの飲み。、ゲームや話を楽しみたい人、寝部屋、タバコをすう人たちの「アヘン窟」と別れる。アヘン窟は夜も深まるうちに、Aちゃんがママとなってクラブのような様相を呈してきたため、その部屋はママ自身により「クラブそこそこ」と命名される(何やってんだか)。

七月十二日

 本日は松代大本営(先の大戦末期、軍部は大本営を松代に移そうとまじめに考えて、朝鮮半島の人とかを動員してメチャクチャに働かせて作った防空壕。防空壕で戦わなきゃいけない時点ですでに負けているのに、なぜとっとと降伏しなかったのか、日本も昔はキてたんだね)にいくグループと、茶臼山動物園・恐竜公園に行くグループに別れて行動。

わたしはもちろん、動物園組(笑)。

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この動物園、かの有名な旭山動物公園にならって、行動展示(その動物の習性にあわせた環境をつくって、その姿を見せることによって動物も生き生きするし、それをみるお客さんも楽しくなって倍増。)をやっている。だから、高い台にのぼってキリンにエサをあげたり、レッサーパンダとツーショット写真をとったり、オオコノハズクを手にとめたりできるのだ!

 関東のとある水族館では、イワシの群を展示する際、イワシを補食するイカを一緒に水槽に入れている。イワシはイカにやられまいとして、必死に逃げるから銀色の群は美しい旋回を我々にみせてくれ、もちろんイカに食べられることによってイワシには犠牲はでるが、生き残ったイワシはイカがいなかった時よりも寿命が延びたという。緊張感が彼らの生命力を高めたのだ。

 小猿とか、小熊とかは本当に幸せそうに遊んでいてほほえましかったが、ゾウとシロオリックスは明らかに精神を病んでいた。やはり、狭い動物園では「本来の環境に近づけ」るといっても限界があるんだな。それに、夜行性のオオコノハズクをまっぴるま外にだしてさわらせるのはかわいそう、さわらせるのなら昼行性の鳥類にした方がいいと思う。次に恐竜公園で童心に返って遊ぶ。帰ってから写真をみたらとても大学生の旅行にはみえない。小学生のそれ。

 夜は花火の後、のみ。「クラブそこそこ」は、本日は「カラオケ・スナックAやか」に変身(笑)。

七月十三日

 本日はいよいよ善光寺へ。まず、ご本尊のまわりを本堂下のまっくらやみを手探りですすみながらコルラする、戒壇めぐりに入る。この途中、極楽の錠前をさぐりあてることができると、死後、極楽にいけるので、わたしは学生の究極の幸せな将来(笑)を考えたことになる

 そのあと門前で信州そばをたべて、本堂で若麻績敬史ご住職と待ち合わせ。今年四月、長野で北京オリンピックの聖火リレーが行われた際、善光寺が出発地点とされていた。しかし、若麻績ご住職を代表とする複数の僧侶たちが、「仏教の聖地である善光寺が同じ仏教徒であるチベット人を弾圧している中国の国威発揚を行う聖火リレーの出発地点に利用されるのは、おかしい」と至極真っ当な主張を行い反対運動を起こした。結果、善光寺はこの出発地点の返上を行った。

 この英断は先進各国に喝采を持って迎えられ、Zenkojiの名前は横文字で国際的に知られるようになった。

 わたしはかねがね善光寺様のこの英断はどのような背景からなされたのか興味があったので、ご住職のお話を伺おうと今回コンタクトをとらせていただいたのである。

 ご住職は学生を前に、我が身を犠牲にして人の幸せのためにつくす仏教者としての本分を、マザーテレサや宮本賢治やアウシュビッツの神父さんの例などをあげて説明し、「聖火リレーの出発地点を返上すれば、大変なことになることはわかっていたが、これで黙っていたら日本仏教の危機だと思った」と当時の心境を語ってくださった。

 この日関東はお彼岸の入りであった。東日本随一の大きさを誇る善光寺の荘厳な本堂には、各地から集まってきた多くの人でごった返していた。ご住職は彼らの方をごらんになると、こうおっしゃられた。

「善光寺は檀家がないんです。ずうっと昔から、阿弥陀様やご先祖様を思う彼らのような市井の人々の一人一人の信仰に支えられてきました。お参りする方の宗派もえらびません。すべての人にこのお寺は開かれています。昔は徒歩でここまできて、このお堂に何日かこもって阿弥陀様のヴィジョンを得ようとしました。そのとき、父親のことを毎日思っている人には父親の姿や声が見えたり聞こえりしました。阿弥陀様の前では普段から強く思うことがヴィジョンとなって現れるんです。わたしは十四年に一度当番で大きな法事を主宰するのですが、何年か前のその時、阿弥陀様のお慈悲を強く体感したことがありました」

 その時、わたしはあの英断がなぜなされたのかその一端がわかったような気がした。あの英断は一朝にしてなったのではない。

 日本のほとんどの寺が檀家の葬儀や法事を行うことで生計をたてるうちに、仏教者としての本来のあり方を忘れつつある中、ここ善光寺という場には、一人一人の信仰によって支えられている仏教が中世よりずっと生きつづけている。そしてそれが彼らが仏教者としてスジを通す力を生み出したのだ。

 zenkoji.jpg
阿弥陀様の慈悲が善光寺さんの行動を通じて世の中を照らしたのである。

 そのあと、資料館にいき、善光寺のご本尊である三国伝来(この三国、おもしろいことにインド・朝鮮・日本で中国は入らないという 笑)の一光三尊の阿弥陀様のお話などを伺う。記念撮影の後、ご住職より「悲・コンパッション チベットからの風」という小冊子と、二十五日と二十六日に善光寺さんでおこなわれるチベットイベント(←詳細はここクリック)ちらしを頂戴する。

 善光寺さんはすべての宗派の人を受け入れ、その人々によって支えられてきたお寺である。だから、、一般信徒をしめだし、警官にガチガチにまもられなければ開催できないような、しかも、特定の民族の国威発揚の象徴であるような、しかも、その特定の民族が仏教徒を弾圧しちゃったりしているような聖火リレーの出発地点になること自体がそもそもミスマッチだったのだ。 

 オリンピックは予定どおり開かれるだろうし、某国はそれを成功と喧伝するだろう。しかし、実質的かつ倫理的にいえば、このオリンピックは大失敗である。

 今年のオリンピックが客観的にどう定義されるかはいずれ歴史が教えてくれるだろう。

 仏教2500年の底力を感じた長野の旅であった。
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DATE: 2008/07/09(水)   CATEGORY: 未分類
歴史研究のヨロコビ

宣伝を頼まれました


勝谷誠彦×ペマギャルポ対談
FREE TIBET!〜中国が隠し続ける「チベットの真実」〜
日時 7月10日 (木) 19:00〜 21:30 (予定)
場所 オダイバ http://tcc.nifty.com/about/
前売り券1500円 当日1700円(飲食代別)
詳細はここクリック



ANA マイレージ・クラブからこんなメールがきた

まだ間に合う!北京オリンピック観戦ツアー
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 人気種目・日本代表出場種目を多数揃えた観戦ツアーをご用意♪
 歴史的感動の瞬間をこの目で体験しませんか?


ふうんそろそろスポンサー料回収に動き出したな、「で値下げして、おいくらになってるのかしら。」

 と自分がとまったホテルを目安にみてみると・・・・

新北緯飯店が一泊四万円以上している!

このホテル、もともとサッポロビールの資本でたったビジネスホテルで、昔は新僑飯店とかいっていて、後に中国資本に売られて今の名前になった。

 で、このホテルが開店直後のピッカピカの時で、シングルで日本から予約して八千円くらいだった。今はかなりボロくなっていて、しかも日本資本でなくなって四万とは、選手の身内の方とかマスコミとか経費がかかって大変ねえ。チベットでは大きなイベントがあると、テント村ができて、まわりに勝手にキャンプするからお金かかんないけど、北京は天壇公園とかにテントはってもいいのかな。たぶんダメだろうな。

オリンピックって、アスリートの鍛え抜かれた技をみてわーっと騒いで民衆のストレス解消、てことで、お祀りみたいなものなんだろうけど、所詮は気張らし。ローマ帝国のコロッセウムのように、大規模イベントに癒しをもとめるようになるとローマ帝国もそろそろですな。

 さて、学術院長選挙も終わり、休講しなかったから補講もしないでいいので、教場試験期間は半期の授業の試験と通年の授業の最後の一回をやれば終わり。

 原稿書きと研究の日々が始まる。うれしー。

 そういえばこの間とあるゼミ生に卒論指導をしていたら、

学生A「歴史を研究するっていうことは、こういうことが未来におきて欲しくないから、それを伝えるためにやるんじゃないんですか。」

私「歴史研究ってのはねー。まずその時代特有の制度や事件やものの考え方とかを史料に基づいて、予断を排して再構築するのが基本よ。歴史研究は理系が自然や事象を客観的に観察するように、ある時代の構造や因果関係を読み取ろうとする作業。過去におきたことに正邪のレッテルをはったり、現在にしかない概念で過去を解釈したりするのは、研究の段階ですることじゃないんだよ。」というと、

学生A「じゃあ、先生は何のために大学で歴史を教えているんですか。そんな何のやくにもたたないもの教えても仕方ないじゃないですか」

私「ぷっちーん。あなたには未知のものを知りたいとかそういう気持ちがないの?人類の文化を発展させてきたのは、その情熱なのよ。」

学生A「ボクは全然知りたいと思いませんね。自分の身のまわりのこと以外にはまったく興味がありません」

 ぐはぁ。常々思うのだが、若いということは、苦いというか、イタイというか。まだ、世界のことも、何より自分のことも、まったく何もわかってないのに、主観に基づいて物事を決めつける時の判断の速さとその根拠のない自信には、つくづく脱帽する。

 まあでもたぶん自分も若い時はこんなカンジで、「自分から見た世界」や「自分が思う自分」を絶対視して、今から思うと恥ずかしいことをいっぱい言ったりやったりしていたんだろうな。一つ言えることは、自分でイッパイイッパイだった頃より、ささやかながら少しは回りを見回す余裕がでてきた今の方が、心は平穏になったこと(といいつつしょっちゅう怒ってるけど。まあこれはデフォルトの性格なんで)。

 学生に言わせれば役に立たない研究なんだろうが、私は、今とはまったく違う時代に人々が何を考えていたのか、その考えに基づくからこそこのような行動をとっていたのだ、などということが分かるととても嬉しくなる。とある島にしか住まない新種の美しい花を見つけた植物学者のような、新しい星をみつけた天文学者のような、たぶんそんなカンジ。

 夏はまだ始まったばかり。
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