白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2017/12/12(火)   CATEGORY: 未分類
チベットの土地神さま(ユラ)祭り
 9日(土)は、ロディ・ギャツォ(34)監督が故郷の村のお祭りをとった「ぼくの村は天空にある」を見に行った。ロディ・ギャツォ氏はカム(東チベット)のポンダ村(tshva ba spom mda') に生まれ、17才でラサにでて、そこで日本女性と知り合い2007年に来日。日本で中学・高校・大学とでて現在は日本語はペラペラである。今回の映像は2010年に撮影されたもので日本の支援者たちがいろいろ協力し現在の形におさまった。聴衆はリタイア世代が多い。

 彼が治めた映像はポンダ村のユラ(yul lha)、すなわち土地神様のおまつりである。
ユラは里山の頂上近くの塚にささったポールの上に宿っていて、普段は近寄ってはならないとされているのが、一年に一回の祭りの際にはこの塚の周りにみなで集う。

 以下、映像自体やアフタートークで聞いたお話のうち面白いと思った部分を抽出する。それは主に二点に分かれ、映像のメイン・テーマである土地神ユラについて、もう一点は中国による近代化がこの地域にもたらした変容についてである。
ぼくの村は天空にある-1


ユラは神であり世俗内の存在である。従って、人間の願い事を聞いてくれることもあるが、祟ることもある。たとえば街にでて祭りに参加できない人に祟ったりするため、参加できない人はお香やタルチョーを知り合いに託して祭りに参加してもらう。ラマも土地神は仏のように五体投地で拝んではいけないという。
ぼくの村は天空にある-2

 ユラの姿はそのユラがやどる地形を人の姿にイメージしたものらしい。たとえば赤い山に住むユラだと赤い顔の人の姿をとる。ロディさんの村には脇の下から逆さに後ろをみるとユラの世界が見えるという老人がいる。ある時、そのおじいさんが「どこそこのユラが荷物をしょってかえってきて自分の家をたてかえた」というと、その直後に、ユラの住む山の近くの寺の再建が中国政府によって許可されたのだという。以来、おじいさんは一目置かれるようになった。

 祭りの手順はこうである。まず、男たち(昔は女性も参加していたが最近は女性は馬に乗らなくなったので男ばかりになった)は山頂近くにあるユラの塚にささったポールのまわりを「ラゲルソー」、とみなで叫びながら七回時計回りにまわる。その側では俗人が経典を読誦する。

 そのあと中腹でみなで輪になって踊り、食事をともにし、シモネタに興じる。この中腹には家畜が好む背の低い木が生えていて、ロディさんは子供の頃、この木の上で寝ているという小人を探したという。その小人の黄色い帽子を家にもってかえると、夜に小人が帽子を取り返しにくるので、返すことと交換に願いを聞いてもらうのだという。
 盗んでおいて言うことを聞かせるとはまさに世俗。

 最後に山の麓でみなが参加しての競馬、村の広場とかで歌舞音曲を楽しむ。
ぼくの村は天空にある-1
 
 さてもう一つ面白かったのは祭りの変容についてである。

 1994年、ポンダ村の近くに飛行場ができた。ポンダ村の北には東チベットの中心地チャムドがあるので、事実上、このチャムド空港である。このことにより、道が整備され、若者たちはどんどん村から町へでいいって、もう祭りが維持できない状態であるという。2013年はみな馬ではなくバイクにのって集まってきたので、村長が怒ってバイクを禁止にした。このことに関して聴衆の一人が、

「少子高齢化で日本でも地域の祭りの維持が困難となっていますが、あなたもこうやって街にでてきてますよね。どうしたら伝統の維持とか可能になると思いますか」

と質問為たところ、ロディさんが

「仏教の信仰をきちんと守っていれば何とかなる。」

とおっしゃっていたのが印象的だった。

仏教は世界標準で評価を受けているチベットの文化であり、チベット仏教をきちんと理解したい人は、チベット語を学ばないといけない。このことが、チベット語が死語にならずに続いてきた一つの理由でもある。チベット仏教徒が多くの人口をもつ隣国に併呑されなかったのも、すでにチベット仏教という高度な精神文明があり、漢文明をとりこむ必要がなかったことが大きい。チベット仏教を信仰してればチベット人のアイデンティティは失われないから、結果としてチベット文化は維持される、そういう意味だろうなと感じた。

 最近日本で人類学を学ぶチベットの方たちの多くが、自らの故郷をこうして映像に記録したり、研究対象にしたりしている。人類学のフィールドワークは、まずその社会にはいって人間関係を構築し、そこで録音や撮影をすることを意識させない状態を作ることからはじまる。なので、もともとその共同体からでてきたロディさんはもっとも理想的な撮影者である。実際、村の人たちがカメラをまったく意識せず普段の会話やジョークをとばしていたのは新鮮だった。

 というわけで非常に面白かったものの、最後に残念な点を一言。あまりよいカメラを用いていないため、風の音が電気的な雑音のようにバリバリと入っておりこれはどうしても直せなかったとのこと。次作もあるというので、今度はもっとよいカメラでお願いします。
 
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DATE: 2017/11/26(日)   CATEGORY: 未分類
法王のいない秋
●前座が本番に熊本講演

 キャンセルされなければ11月15日は法王が熊本で復興祈念の講演をされるはずの日であった。この講演はsamaya projectの企画であり、非常に士気の高い方たちが準備をされていたので、前日にはチベットを知る講演会をやり、翌日、法王の本講演を聞くという段取りになっていた。そしてその前座の講演に呼ばれたのが私である。

 そういうわけで今回法王様の来日がキャンセルされると、実行委員会の方々の落胆は一通りではなく、せめて前座の講演だけでもやろうという流れが生まれた。私はそれを聞いた時、ちいさーなホールでひっそりと実行委員会の方たちだけ集めて行うのかと思っていたら、何か熊本県医師会館でやるという。

 やな予感がした。

 熊本空港につくと、お迎えはいいとあれほどいったのに、平岡宏一先生が熊本側の僧侶小山さんとともにきてくださっていた。平岡先生、なぜか麻生副総理みたいな帽子をかぶっており、マフィア風である。空港から市内に向かう車内で小山さんから地震の時のお話を伺う。平岡先生は地震からわずか三日後に学校であつめた義援金をもってジープで現地入りし、その時からのお付き合いだそうである。

 ホテルは熊本城の目の前にあるホテル・キャッスル(まんまや)。昭和35年に天皇陛下が熊本にいらした際に建てられたホテルで、以後、皇族の方が熊本にお見えになるたびにお泊まりになっていたが、近年は老朽化が進み、日航ホテルに客を取られ、おいうちをかけるように昨年の地震で傾いて、廃業の危機にさらされた。しかし、由緒あるホテルなので存続をという声をうけて、気合いで改修し今年で58年目を迎えていた。

 キャッスルから歩いて会場となる熊本医師会館に向かう。着いてみると建物新しい。入り口にランの鉢植えがどかどか並んでいる。
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 平岡先生「法王さまをおよびするのは、この会館のこけら落としの意味もあったんですよね」

 おいおいおい、このホール立派すぎ。完全に私では役不足。「なんでもっと小さいホールにしてくれなかったんだよおおおぉ」と心の中で叫ぶ。ちなみに熊本の地方紙はダライラマ法王を右翼か何かと勘違いしていて、アンチの記事はのせてくれたものの、一切協力はしてくれなかったので今回の講演も宣伝なし。

 というわけで、立派な会場に実行委員会とその関係者の方々、プラスフルファを加えてひっそりとお話させていただきました。平岡先生は入菩薩行論をラマから教わったような形で解説してなかなか面白かった。私はダライラマ14世、一難民から世界の聖者へ、というタイトルでダライラマの人生とその影響力についてお話させていただく。

 実行委員会のメンバーは細川氏について熊本にやってきて代々藩医をつとめていた家系の末裔とか、細川氏にくっっいて熊本入りしたお寺の末裔とかで、彼らの地震の時の八面六臂の活躍を聞かせていただくと、昔の支配層がそのまま現在の熊本をしょって立っている。うちのご先祖なんて淡路を明治維新後わりとすぐに飛び出したのに。聴衆よし、会場よしで、ダライラマがお見えになっていたら本当によい集まりになっていたであろう。

 翌日、藩医のご子孫K子先生のご案内で熊本城を参観する。熊本城もは細川氏より前に熊本入りをした加藤清正によって建設され、熊本の基盤も加藤清正が整備したため、熊本県人に加藤清正は圧倒的な人気を誇る。お城の中には加藤清正を祭る神社があり、町中に清正公熊本入り●×周年とか記念の年ににたてられた銅像や碑文が見られる。
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 彼がつくった熊本城は日本三名城の一つに数えられ、神風連の乱でも、西南戦争でも落ちなかった天下の名城である。それが今回の地震では報道されている通りの、くずれっぷりで、小山さんから伺ったお話では「嘘か本当かは知りませんが、加藤清正が作ったところは盤石で、近代に入って補修した部分が今回くずれたと聞きました」

 崩れ落ちた石垣の石は等間隔にはならべられて一つ一つに番号がふられており、これを3Dでコンピューターにとりこんで、どの岩とどの岩が組み合わさるのかを計算させるのだそうな。アンコールワットで見た復元法と同じだ。あの床下の土が全部崩れ落ちてもまだ頑張っている櫓は、受験生とかのお守りになりそう。
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 それから小山さんが空港まで送って下さる。途中震源地の益城町で地震でずれた地形などをみせてくださる。そして神木神社の前で車を降りると、そこにはなんか報道関係者らしい人が三人、何をするでもなく手持ち無沙汰につっ立っている。
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 この神社は写真の通り全壊しており、一年たった今も被災後の姿のままである。写真をとって門の前に戻ると小山さんが報道の方たちの話していたので、私が「あの人たち何しているんですか」と伺うと、

 小山さん「七五三でお参りにくる人を撮りにきているみたいです」
 私「いやでも本殿つぶれてますよ」
 小山さん「だから復興してがんばっていますっていう絵をとりにきたのでは」
 私「復興してないですよ」

 そうして再び空港に向かう。途中小山さんから悲しいお話を伺う。

 小山さん「法王様がお見えになるというので、特別な法座を特注で作ったんですよ。法王様に座っていだきたかったです。法王様がお座りになることで完成する椅子なんです」
 私「それ見てみたいです」
 小山さん「木工房山河童でフェイスブックを検索してみてください」
 言われたとおりに検索してみると、このページがでた。
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この椅子には地・水・火・風の四つのエレメントが象徴されていて、その上にすわる法王様を空=宝珠にみたてた作品であつた。
 注文主は五倫塔をイメージし、最後の宝珠を法王様にみたてていたようだが、私が面白いと思ったのはチベットでも法王は直接お名前をいうことは失礼だということで、如意宝珠(yid bzhin nor bu)などの間接的な呼称で呼ばれていることである。
 同じ発想にいたるのは、やはり日本も仏教国だからか。
 山河童さんに敬意を表してFBのアドレスをあげておきます。


●アジャ・リンポチェ in仙台

 ダライラマの来日キャンセルはかくして招聘主に多大なる経済的・精神的な打撃を与えたが、意外な余波が、別の高僧たちをお世話している人々の周囲にも及んだ。

 それは、目的を喪失したダライラマ法王日本代表事務所が、自伝の和訳のプロモーションのために来日されていたアジャ・リンポチェの後援をはじめたことに始まった。アジャ・リンポチェの管轄する組織の日本支部のX氏が「格が上がった」と舞い上がった結果、キャパオーバーとなり、いろいろやらかした。アジャ・リンポチェのフォロワーはモンゴル人が多いので遊牧民力でスルーしたものの、そうはいかないのが何事も几帳面に事を進める日本人支援者である。

 アジャ・リンポチェは東日本大震災がおきた時、仙台のWさんが主催して松音寺さまで法要・支援を行った。その結果、松音寺には現在、アジャ・リンポチェが故郷の寺からひそかに持ち出した緑ターラー尊が祭られている(ちなみに、松音寺は緑ターラー尊のご朱印を作ったそうなのでマニアはご朱印帳をもってくるべし)。X氏はこのW氏に対してもやらかし、のみならず、Wさんを無視して事をすすめ始めたので、Wさんはお手伝いを降りた。

 講演当日、Wさんは複雑な感情を懐きつつ一般参加でリンポチェの話を聞きにいった。すると、冒頭リンポチェは主催者に感謝を表明する場面において、会場を提供してくださった松音寺のご住職についで、Wさんにカターを献じたのである。そして当初の予定では本来の法話の前に関係者だけの精進料理の席が予定されていたのが、会のあと、誰でもが参加できる食事会に内容が変更されていた。アジャ・リンポチェは関係者の誰を叱ることも、外すこともなく、本来の功労者であるWさんをたてたのである。

 高徳のラマのまわりでよくおこる、オセロ効果、すまわちまっくろな状況が、リンポチェの言動で一瞬に白に変わっていくというあの現象である。さすがわリンポチェ。

 関係者各位、本当にお疲れ様でした。

●カルマパ17世展

 25日にはチベット学会で京都に行ったついでに、泉涌寺で行われていたカルマパ17世展をみにいった。カルマパといえば2000年の最初の新聞の一面に亡命したカルマパ17世の写真がのったことを今でも思い出す。あの時14才だったカルマパ17世も今は32才である。彼はダライラマのお膝元のダラムサラのギュト大僧院に滞在しつつ、宗派を主催している。

 知る人は知っているが、カルマパはダライラマ14世に認定された今のカルマパともう一人カギュ派の高僧シャマル・リンポチェに認定されたカルマパがいた。二人のカルマパは今のカルマパの認定の根拠となった先代の遺書の真贋をめぐって長く争っていたが、今のカルマパが14才の時、亡命してダライラマの下に至ると一気にこちらがホンモノという空気が強くなり、今年に入ってもう一人のカルマパは還俗をして事実上、カルマパの継承争いは今のカルマパの勝利に終わった感がある。

そんな折のカルマパ展である。
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 今回の主催は香港チベットハウスで、初日にはダライラマの妹君のジェツンペマ氏とカルマパ17世のお姉さんが来られた。展示会場には今回の展示会の手配をした方がいらして、その方によると、今回の展示会には香港の映画監督ウォン・カーアイ監督とか、女優のフェイ・ウォンとかも関係しているとのこと。
 会場では2016年製作のカルマパならびにカギュ派の高僧がオールスターで出演するイメージ法話DVD「乗願再来九百年The 17th Journey of Compassion」がエンドレスでながれていて、これが映像がきれいだし法話もよくまとまっているので買ってもうた。

雰囲気を知っていただくため。さわりを以下にあげておきます。なかなかいいですよ。

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「仏教を信仰することはただ一つの宗教、宗派に属することではない。ただ信仰すればいいものではない。自分を知り、世界を知り、真理を追究し、一切のものの苦しみを共有し愛することだ」

「絵に描いた炎になってはいけない。絵の炎は暗闇に入っても周りを照らすことはないが、ホンモノの炎は暗闇の中で周囲を照らす。」

「内なる世界と外なる世界はつながっている。心が暗いとその人がみる世界は暗い。心が明るい人は世界を明るくみる。」

「私が〔カルマパの主催者に代々伝わる〕黒帽子を戴いた時、何ももたないものが苦しまないように、とねがった」
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DATE: 2017/11/04(土)   CATEGORY: 未分類
アジャ・リンポチェの『回想録』を読んで
 10月は自転車から落ちたり、止まらない鼻血がでて焼灼したりといろいろ大変でした。気を取り直して、十一月です。下旬にカルマパにささげる展覧会が京都の名刹泉涌寺様であります。紹介文によるとカルマパ自身とアーティストによる写真、書、絵画ならびに17代の転生に光をあてた43分の記録映画も上映されるとのこと。面白そうなので期間中に行ってみたいと思う。
 あと、11月14日の熊本公演も日が近づいてきたのでも一度告知。無料ですのでお近くのかたどうぞ。
カルマパ17世展示会-1

●カルマパ17世 慈しみの眼差し チベット仏教・文化芸術展 
・主催 チベット・ハウス 香港
・日時: 11/16(火) - 26 (日) 9時~17時
・御寺 泉涌寺

●熊本地震復興祈念仏教講演会「21世紀を生きる為の慈悲と利他の教え」
【日時】11月14日(火)
【場所】 熊本県医師会館 2階~3階 大ホール 熊本市花畑町1番13号
18:40  第一部 平岡 宏一先生(清風学園専務理事・校長 / 種智院大学客員教授) 講 演
  演題「菩提心の功徳  ~「死に向かって心を整える」ということ ~」
19:40  第二部  石濱裕美子(早稲田大学教育学部教授) 講 演
  演題「ダライ・ラマ法王、半生の軌跡 ~ 一難民から世界の聖者へ ~
【問い合わせ先・主催】 ダライ・ラマ法王佛教講演会実行委員会事務局
住所 熊本市中央区帯山4丁目5番18号 医療法人祐基会帯山中央病院内
   ☎(096)382-5164 平日 午前9時30分~午後5時
   E-mail hhd-kumamoto@higo.co.jp


 最後に、11月3日に護国寺で行われた講演の報告をかねてアジャ・リンポチェの回想録の紹介を。

 清風学園の時も思ったのだが、なぜか来賓に大使館関係者とか、学者が多い。とくに「おっ」と思ったのは、寺本婉雅師のお孫さん寺本正さんがお見えだったこと。知らない人のために解説すると寺本婉雅とはアジャ・リンポチェの先々代を日本に招待し、ダライラマ13世と1906年にクンブムで、1908年に五台山で会見した東本願寺の民間工作員僧である。講演のあと、ご挨拶して、祖父君のことについて伺うと、正さんが生まれる十年前になくなっているので、まったくわかりませんと言われた(笑)。 
寺内とアジャ

講演は中国語で行われアジャ・リンポチェがギャグをいうと、日本語通訳が入る前に笑っている人がかなりいたので聴衆は中国籍のモンゴル人が多数いたと思われる。

 当代のアジャリンポチェは8世で、先代のパンチェンラマ10世と関係が深い。パンチェンラマについて簡単に説明すると、ダライラマは中央チベットにあり政治権力を掌握し、一方パンチェンラマはシガツェを中心とするツァン地域に荘園を持ち代々学者として尊敬を集めてきた。百年前の1904年にイギリスがチベットに侵攻した時、ダライ・ラマがモンゴルに亡命すると、清朝官僚はダライラマの称号を剥奪しパンチェンラマ9世をダライラマ13世の代わりにしようとした。しかし、パンチェンラマは固辞しチベット政府も国民も受け入れなかったため、結局ダライラマ13世が後事を託したガンデン座主を追認させられた。

 ダライラマ13世が1913年にチベットに帰還すると、当然のことながらダライラマ13世とパンチェンラマ9世の関係は微妙なものとなった。やがてパンチェンラマは中華民国に亡命しそのままなくなった。ダライラマとパンチェンラマが再びまみえるの1951年に、人民解放軍とともにパンチェンラマ10世がラサ入りした時であり、ともに代替わりした後のことであった。

 1959年にダライラマ14世がインドに亡命した後もパンチェンラマ10世は中国に残り続けた。文革の時は軟禁状態となり、結婚もさせられ、それでも文革終了後は破壊されたチベット僧院のたてなおしに励んだ。結果、パンチェンラマは本土チベット人の心のよりどころとなり、今でもその遺影は多くの僧院で目にすることができる。

 この10世パンチェンの師匠がアジャ・リンポチェの叔父さんのギャヤ・リンポチェである。

 当代のアジャ・リンポチェは8世であり、人民解放軍がチベットに侵攻した1950年にアムド(東北チベット)に生まれた。1952年に先代の生まれ変わりに認定されたが、認定を行ったのはパンチェンラマ10世であった。パンチェンラマはリストを一目みて「この子だ」といったが、師であるギャヤ・リンポチェは自分の甥をひいきして選んだと言われることを恐れ、公平にタクディル占いで選ぶように進言して、その占いを行ってもやはり彼の名前がでたとのことである。

 アジャ・リンポチェの子供時代は、大躍進政策、宗教改革、文化大革命が続き、中国共産党による殺戮と文化破潰の嵐にもみくちゃにされた。アジャ・リンポチェの父親は彼がわずか7才の時に連行されたまま他の多くの男達同様帰ってこなかった(写真はリンポチェが最後にあった時のお父さん)。アジャとパパjpg
僧院は閉鎖され、一般の僧は強制還俗、高僧は投獄され、アジャ・リンポチェも僧衣を脱がされ小学校にいれられてビオネールの格好をさせられた(回想録の裏表紙の写真がそれ)。文化大革命の頃は土木作業と農作業にあけくれ、仏教の勉強は隠れて独学するしかなかった。

 文革が終わると解放されたパンチェンラマ10世とともに破壊された寺院の復興にあたり、共産党の仏教組織でトントン拍子に出世したものの、1989年にパンチェンラマ10世が不審死をとげ、その直後に天安門事件がおき、おまけにダライラマ14世がノーベル賞をとり、つまりは、共産党が国際的に孤立しダライラマの国際的地位があがったことによって暗転する。

 共産党はそれまで転生僧の認定を行う際には「ダライラマの意見を打診する」というまっとうな政策をとっていたのが、天安門事件で硬化し、ダライラマが指名したパンチェンラマ11世を否定するため、パンチェンラマは籤できめると言い出したのだ。そして、ダライラマの選んだ子供ぬきで候補者をあつめ、共産党員の子供が選ばれるように籤に細工をした。アジャ・リンポチェはこの詐欺っぷりについても回想録の中で具体的に暴露している。

 こうして登場するのが有名な「偽パンチェン、ゲルツェンノルブ」である。

 そのうえ、共産党はアジャ・リンポチェをパンチェンラマ11世の師匠に任命しようとした。アジャ・リンポチェの伯父さんのジャヤ・リンポチェがパンチェンラマ10世の先生であったため、それにちなむことで偽パンチェンに箔を付けようとしたのである。ここで、アジャ・リンポチェの忍耐は限界を迎えアメリカへ政治亡命したのである。
 
 アジャ・リンポチェは中国では高級官僚として非常に恵まれた生活をしていた。しかし、その地位も僧院もスタッフも信者もすべてを捨てて、言葉の通じないアメリカで一から生活を築き直すことを選んだのである。このことだけでも中国政府が彼に強いたことがいかに彼の忍耐を越えていたかがよくわかる。

 彼が亡命後、江沢民に手紙をだしてダライラマと対話するように進言したところ、やっときた返事は、彼の手紙の内容ガン無視で、あなたの僧院であるクンブムには名月がかかって、黄河の水は世界で一番美しいよという七言絶句の漢詩であった。直接話法でいえば、「かえってこい」だろう。

 私はこの件をよんだ時、ダライラマ14世に対して周恩来がいった言葉を思い出した。1957年、ダライラマが亡命を迷っていることを察した周恩来は「仏像は仏壇があるから拝まれる。チベットという仏壇からでたらあなたはただの人だ」みたいなことをいって暗に釘を刺した。しかし、江沢民にしろ周恩来にしろ、こういうことをいっている時点でいかに仏教について無知・無理解かがよくわかる。

 ダライラマにせよ、アジャ・リンポチェにせよ彼らがなぜ尊敬されるのかといえば、彼らがりっぱな僧院の中で多くの信者に囲まれているからではない。彼らの学び身につけている仏教自体が普遍的であり、それを体現しているから尊敬されているのである。それが証拠にダライラマ14世もアジャ・リンポチェ8世も、生まれた土地を離れ、宮殿も僧院もみな失って一難民となっても、現在はも故郷の人ばかりではなく多種多様な人たちの尊敬を集めて、より多くの人々に仏教の教えを届け慈善活動に励んで影響力を失うことはない。

 共産党の高級官僚なら金や地位がなくなればそれこそただの人だが、〔まともな〕僧侶は違う。楽な生活を望むのであればそもそも亡命しない。亡命されたくなかったら、彼らが自分たちが尊敬している人の名を口にだして言えるように、また、彼らが価値あるものと認めている仏教を自由に学び、修行できる環境を作ればいいのだ。黙っていてもみな亡命先から喜んで戻ってくる。チベット人の文化をきちんと理解して尊重すれば誰も焼身自殺で抗議したりしない。

 回想録の見所は中国共産党のチベット地域や仏教界に対する政策がつねに的外れで強権的でそのような中でも笑顔をたやさず何とか中国と共存していこうとする本土チベット人の姿であろう。現時点で回想録は英語、台湾中国語、モンゴル語、日本語に翻訳されて各国の人に読まれている。現在はロシア語訳を準備中だという。アジャ・リンポチェは回想録の印税を慈善事業に使っているとのことである。
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DATE: 2017/10/19(木)   CATEGORY: 未分類
ジャスティス・リーグな11月のチベット・イベント
 みなさん、ジャスティス・リーグってしってますか? 11月に封切られるアメコミ実写の映画なのですが、アメコミファンの私としても今回は特別の感慨があります。それはね~、以下の私の愚痴話を聞くと分かります。

 不死身のスーパーマンが姿を消したあと、世界的に犯罪が増加した。そのため、バットマンが、ワンダー・ウーマンとアクア・マンとフラッシュとビクター・ストーンを召集して、とにかく数の力で戦おうとする、それがジャスティス・リーグ。

 で、ここからが本題です。本来ダライラマ法王が講演をされるはずだった熊本で、キャンセルできない飛行機のチケットを買ってしまった方が結構な数おりまして、その方たちを中心にチベット・イベントをやってくれとの声があがりました。

 で、私と平岡宏一先生がダライラマとチベットの高僧たちから教わったこと、という内容で、ボランティア講演を行うこととなりました。300名も入る熊本県医師会のホールなので、これでく30人とかしか来ないと、私的には「交通費かけてボランティアで現地入りして仕事がなかった」みたいな状態になるので、夕方からなのでお仕事の後にでも参加いただければ嬉しいです、参加費無料です。

 熊本城は日本の城の中でも人気ナンバーワンですよ! 夏目漱石の旧居もありますよ~。殿様が県知事をやる熊本は実行委員会にも細川忠興といっしょに熊本に来られた方の子孫がいっぱい。くまもんもまってます。

 もう一つイチオシのイベントは、11月4日は出雲の峯寺で行われる恒例の峯寺のチベット・フェスティバル。川辺ゆかさんの歌と、福岡在住のチベット人ゲレックさんが、彼の故郷の遊牧地帯の文化などをおはなしする傍ら、アムド地域での小学校建設運動についての進捗状況などを話してくれます。面白いですよ。
 というわけで、ダライラマ法王不在の11月ですが、とにかく私たちのできる範囲内でチベット仏教がいかに、人々の心の安定に寄与できるかとかを伝えていくことになります。
 以下開催日順にお知らせをはっていきますので、とにかく拡散、お願いできればと思います。
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●アジャ・リンポチェ出版記念講演会 東京
【日時】11月3日(金) 14:00~16:00
【場所】 大本山護国寺 桂昌殿 地下鉄有楽町線 護国寺駅下車すぐ
【問い合わせ先】TEL:080-5445-7673  tmbccjp2013@gmail.com
【主催】 チベット・モンゴル仏教文化センター


●チベットフェスティバル in 雲南(日本ですよ笑) 2017
【日時】11月4日(土)
【場所】 出雲 峯寺 島根県雲南市三刀屋町給下13 (平岡宏一先生の奥様のご実家です) 
【プログラム】

 第一部: 14:00~15:00 川辺ゆか(歌・ダムニェン)コンサート
 第二部: 15:30~16:30 「チベットを通して考える人間の幸せとは?」
           チベット人のゲレックさんと山男渡部秀樹の対談
  ※ゲレックさんは東北チベット出身で12才でヒマラヤを超えてインドに亡命。現在は福岡在住。故郷の遊牧チベット人ために小学校を作る活動を行っています。

【連絡先】峯寺: 電話番号0854-45-2245 E-mail:k.matsuura@mineji.jp(松浦)


●ダライラマ法王のご長寿祈願特別法要 東京
【日時】11月11日(土) 13:00~15:00
【場所】 大本山護国寺 本堂 地下鉄有楽町線 護国寺駅下車すぐ
【問い合わせ先】TEL:03-5988-3576 
【主催】 ダライ・ラマ法王事務所

●熊本地震復興祈念仏教講演会「21世紀を生きる為の慈悲と利他の教え」
【日時】11月14日(火)
【場所】 熊本県医師会館 2階~3階 大ホール 熊本市花畑町1番13号

18:25  委員長挨拶
18:30  法王法話映像
18:40  第一部 平岡 宏一先生(清風学園専務理事・校長 / 種智院大学客員教授) 講 演
  演題「菩提心の功徳  ~「死に向かって心を整える」ということ ~」
19:30  休 憩
19:40  第二部  石濱裕美子(早稲田大学教育学部教授) 講 演
  演題「ダライ・ラマ法王、半生の軌跡 ~ 一難民から世界の聖者へ ~
20:40  閉会挨拶
※閉会後、希望者のみ質疑応答の時間を設け21時を終了とします。

【参加費】無料
【問い合わせ先・主催】 ダライ・ラマ法王佛教講演会実行委員会事務局
住所 熊本市中央区帯山4丁目5番18号 医療法人祐基会帯山中央病院内
   ☎(096)382-5164 平日 午前9時30分~午後5時
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DATE: 2017/10/17(火)   CATEGORY: 未分類
アジャ・リンポチェ自伝出版 記念講演会
 15日はアジャ・リンポチェの自伝出版 記念講演会を聞きに、清風学園に行った。アジャリンポチェは亡命前は青海クンブム寺の座主をつとめていらしたため、そこの住人の言葉であるモンゴル語とチベット語と、漢語に堪能であらせられる。モンゴル語の仏教用語はチベット語からの直訳なので、モンゴル語で法話を話しても仏教を学んでいないモンゴル人だときちんと訳せないことが多いので(歴史の話なら普通の人でも通訳できる)、リンポチェは法話はチベット語でおこなわれる。今回そのチベット語からの通訳は清風学園校長 平岡宏一先生がおこなわれた。

以下、解説を加えつつ法話の全体象をご紹介する (法話の部分は青色にしてあります)。
アジャ本表紙

アジャ・リンポチェ

清風にくるのは十年ぶりです。十年前、タクツェル=リンポチェ (ダライラマの兄の尊称) が病に倒れ、タクツェルリンポチェが主催していた組織を私に引き継げというダライラマ14世の命令があり、タクツェル=リンポチェがお世話になった方々に挨拶に行けといわれてここに参りましたのが十年前です。このたびは私の自伝の出版ということでこのような機会をもたせさていただきありがとうございました。

 解説: ダライラマの兄上タクツェル=リンポチェは亡命前はアジャ・リンポチェと同じくクンブムの僧院長の座につかれていた。タクツェル・リンポチェは1950年、弟であるダライラマ14世よりも九年早くアメリカに亡命した。その後、アメリカでインディアナ大学で教授職につきつつ、チベット文化センターを主催されていた。その後、1989年にダライラマ法王事務所日本代表として日本に着任されたものの、前代表が解任内容に異を唱えて事務所の明け渡しに応じずタクツェル・リンポチェが困っていらした。その時、当時清風学園の校長先生であった平岡英信先生が新宿で不動産業を営んでいるHさんを紹介して、事務所を開くことができた。
 1990年、タクツェル・リンポチェと平岡英信校長(当時)はともにブリヤートで開催された開教300年祭に招かれ、ソ連の抑圧から解放されたブリヤートのチベット仏教界の熱狂を目撃している。この時のお話を英信先生にずいぶんお聞きしたのだが、「とにかくたくさん人がいてみなさん喜んでいた。北朝鮮の代表が同じ社会主義圏だから、良い待遇を受けられるだろうと思っていたら、〔実際は自由主義圏に復帰しての歓喜の宴だったため〕冷遇されてふくれていた」とのことであった。英信先生が発起人となって南インドのフンスールのギュメの本堂が再建されたのもこのタクツェル・リンポチェが日本代表をつとめていた際である。というわけで、タクツェル・リンポチェと平岡英信先生は昔なじみなのであった。

171015アジャ1
 アジャ・リンポチェ
 
まず、① 仏教の入門的な話をし、次に、②仏教の教えに従い、感情をコントロールするためにはどうしたらいいかのかについて話をし、最後に、③ 仏教徒として暮らしていく心がけについてお話しましょう。

①仏教の基本的なお話

仏の教えである経典や、経典に対する注釈書などの書籍群を大蔵経と総称します。この大蔵経には仏教が普及する三つのルートに従って生まれ、三種類の系統があります。
 まず、最初に成立したのは上座部仏教です。上座部仏教の大蔵経はパーリ語で記されており、お釈迦様が覚りを開かれた直後に説いた四つの聖なる真理(四聖諦)や、戒律などが含まれています。スリランカ、タイ、ミャンマーなどの仏教界ではこのパーリ語の大蔵経を奉じています。

 次は紀元前1世紀に中央アジアで始まり、シルクロード、中国、朝鮮半島、日本におよんだ大乗仏教です。このルートの中で生まれた漢語大蔵経は、顕教(哲学)と密教の経典群からなりたっています。顕教の経典には上座部の教えが含まれており、密教の教えには四タントラのうち所作タントラ、行タントラ(大日経はここに含まれる)、ヨーガタントラ(『金剛頂経』はここに含まれる)の経典が収められています。

 そして三番目に成立したのはチベット仏教です。大蔵経はチベット語で記され、その教えがチベットから13世紀にモンゴルに入り、17世紀には満洲人にも伝わり、それとともにモンゴル語や満洲語の翻訳大蔵経が生まれました。
 私が属しているのはこのチベット仏教です。

②仏教の教えに従い、感情をコントロールするためにはどうしたらいいかのか

 仏教徒は「正しいものの見方」 (lta ba) をもち、「正しく行動」 (spyod)することが大切です。
 正しいものの見方とは「物事は、ただ因果関係 (縁起) によって存在しており、永遠不滅の実体はない」という縁起の真理を理解することです。仏教は〔キリスト教のように〕造物主が人を造り、それに苦しみや愉しみを与えるなどという考え方はありません。この原因と結果の因果関係のみがあると説きます。 また「正しい行動」は非暴力(他者を傷つけないこと)であり、慈悲の心を持つ(他者の役に立つ)ことです。

 ●「正しいものの見方」
「物事は、ただ因果関係 (縁起) によって存在しており、永遠不滅の実体はない」ということは、自然界の中でも見ることができます。種が芽を出し葉を茂らせ、花をつけ、実を結ぶには、水、天候、肥料など様々な条件や原因があってはじめて可能となり、このどれか一つでもそれだけで存在しているものはありません。
 空間一つとってみても、西があるから東が設定されるのであり、中国の空はきたなく、日本の空はきれいだというように虚空を分けても、空間の側に境界があるわけでなく、我々があると思っている気持ちに応じて境界をひいているのです。
難しい言葉でいうと、ものごとには「存在の真実の姿」である「如実」( ji lta ba)と「言説(言葉や概念)によって仮に存在しているだけのもの」という「如量」( ji snyed pa)の二つの側面があります。
 たとえば、一万円札があります。この一万円は日本では十回外食ができるかもしれません。しかし、アフリカやインドの田舎に一万円札をもっていっても何も売ってもらえません。「これは価値のあるお金なんだ」といっても、「そうかお腹が空いているのかじゃあこれを一つあげよう」とか日本で手に入るものの10分の1くらいは恵んでもらえるかもしれませんが(笑)。「ありのまま」の一万円札は紙ですが、しかし、そこに人間の側で価値という概念を仮に設定しているので(仮説)、その価値は一万円れ自体に本質的に備わっているものではありません。

 ●「正しい行動」
次に「正しい行動」について話します。 愛情(brtse ba)と慈悲は(byams pa)は異なるものです。愛情は自分の子供など自分が好ましいと思うものに対して向けられる者で、限度があります。しかし、慈悲は無限です。敵をも慈しむ心です。愛情しか持たない人は敵が不幸な目にあうとざまあみろとか思いますが、慈悲を持つ者は敵すら慈しみます。
 慈悲を育むためにはまず、2段階踏むといいでしょう。まず、最初の段階では他人を傷つけないこと、人に迷惑をかけないように生きること。足るを知ることです。
 次の段階ではより積極的に「人の役にたちたい」という心を育むことです。
 人の心は好き、嫌い、無関心の三つに分かれます。「好き」という気持ちは一見良いものに聞こえますが、好きは執着に発展することがあり、こうなると良いものではないので、好きなものはなるべく自分から離して考えることです。
 「嫌い」という感情は怒りに発展しやすく、これもよくありません。忍耐の心をもち、相手に慈悲をもつように努力しましょう。無関心も困っている人の前を通り過ぎたりしてよいものではないので、関心を持つようにしましょう。好きも嫌いも無関心もすべて、真ん中の気持ち、「好きでも嫌いでもなく、しかし、関心を持つ」、平等な状態(btang snyoms)に置くようにして他人の役にたちたいと思うことが大切です。

 人間は体と言葉と心(身口意)によって外界にはたらきかけますが、意識は身体や言語を操るのでこののうち心が最も重要です。心の状態を保つためには戒律・瞑想・智慧 (三学) をもちいるといいでしょう。戒律は言葉や体を律して悪行をなさないための、これをしなさい、これをしてはならないというルールです。
 日本人は「立ち入り禁止」と紙に書いてはってあれば、みなそれを見て入らないけど、インドなんかだと、「書いてあるだけだ」と無視して入ったり、はては紙を破ったりします。ルールだけで心を統御するのはかくも難しいものです
 そこで三学の二番目の定、すなわち瞑想が必要となってきます。
 30分体を座せておくことはできますが、心はあちこちに飛んでしまいます。
こういう時には分析的瞑想(dpyad sgom)が有効です。何か一つのこと(歩く、マントラを唱える)に集中することによって、気を散らさないようにします。そして、次には外界の刺激をシャットダウンして「心を落ち着ける瞑想」 ('jog sgom)をおこなう。人は眼・耳・鼻・舌・身・意(五根)を通じて外界の刺激を受けて意識が散じてしまうので、この五根を閉じて集中する。寝ることではないですよ。

③ 仏教徒として暮らしていく心がけ

仏教には三つの門があります。普通三門というと、身口意ですが、これから話すのはそうではありません。
① 仏教徒になること 
② 大乗仏教徒になること
③ 密教の修行によって仏の境地を目指すこと
この三門です。

 ①仏教に帰依すること
この世界のありように恐怖し、仏・法・僧という三つの宝に帰依することです。仏教に帰依したら、十善(殺さない、盗まない、邪なセックスをしない、嘘を言わない、汚い言葉を使わない、言葉を飾らない、二枚舌を使わない、正しいものの見方をもつ、怒らない、執着しない)の行いを積まなければなりません。

 ②大乗仏教徒になること。
 次に、ただ人に迷惑をかけないだけでなく、一切の命あるもののために役に立とうという心をもつのが次の段階です。大乗仏教徒は他の人を救う力をもつために仏になろうとします。このような他者の救済のために覚りの境地を目指すことを菩提心とよびます。

 ③密教を学ぶこと。
 顕教(哲学)で覚りを得ようとすると、長大な時間はかかりますが、密教の修行は遠くにある仏の境地を自分の側にひきよせる修行を行なうことによって実際に仏になろうとするものです。
 まず、灌頂を受けねばなりません。灌頂はチベット語ではワンといいますが、これは「権利」という意味で、つまり灌頂は密教を修行するための権利を得る儀式です。
 顕教では仏の国(浄土)は人間の世界の遠くにあり、来世そこに生まれることを目標として修行しますが、密教では自分を仏様の姿に観想し、自分のいる場所も仏様の世界に入っているという観想(シミュレーション) 修行をします。

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質疑応答: 日本においては鎌倉時代に戒律を否定して以後、僧侶は無戒律、無修行になっています。それをどう思われますか。

このいかにも、日本仏教に対する批判を誘導するような質問に対して、アジャ・リンポチェの受け答えは非常にスマートだった。

アジャ・リンポチェ: モンゴルにおいても僧侶が妻帯することがあります。すると、信者の方はお寺にお布施してもそれがお寺のために使われるのならまだしも、妻や子供のために使われると、信仰が揺らぐようになります。結果、社会奉仕活動など人の役に立つことをするキリスト教などが勢力をもってきています。
 日本においても物質主義が盛んで、仏教が衰頽し、お寺を維持するために僧侶が妻帯していると伺っております。また、キリスト教のようなメソッドを用いる新興宗教が、伝統宗教の信者を奪っているとも。チベットでも、先代の僧院長の生まれ変わりというだけでまったく仏教を修行しない人でも高い地位につくことがあり、結果人々の信仰が揺らぐということがあるようです。私が死んでも私の生まれ変わりが探索されるのでしょうが、生まれ変わりの子がうまく育って勉強も修行もできるのならそれでいいですが、そうでなかった場合はやはり人々の信仰は揺らぐでしょう。転生相続も正しい形で(生まれた子をきちんと教育して初代の質を維持する)行なわれればいいですが、資格のないものをただ高い地位につけるのはよくないでしょう。


 つまり、モンゴルやチベットでもそういう問題はある、と仏教界が抱える普遍的な問題として相対化し、転生僧であれ、先代住職の子であれ、きちんと修行や勉強をする子を後継者にしないと仏教が衰頽するとソフトに提言されたのである。

 このあとの自伝出版記念の講演は、平岡先生とSamaya projectのYさんと熊本ボランティア講演(笑)の打ち合わせがあったので、残念ながら聞けませんでした。護国寺にもお見えになるとのことなので、予定があえばこちらで伺いたいと思います。まずは自伝を読まないと。

追記: 平岡先生がアジャ・リンポチェから聞いた話。アジャ・リンポチェの前世の初代はゲルク派の宗祖ツォンカパの父親であると信じられており、お父さんを意味するアキャa rgyaと呼ばれていた。しかし、これが漢語でうつすと阿家になってよくないと中国皇帝に云われて、a kya(阿嘉)と綴るようになったとのことである。
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